詩ヌマデアイ詩テ[719]
2016 06/01 18:31
黒髪

>>716
石村さんへ

そうなんですよ、僕って、罰を与えられるから、沈黙を選ぶんです。その次に、沈黙をとがめるものがあらわれる。
それは、可能性を追求する(何の可能性であっても、それは人ぞれぞれですが)人によって、お前と付き合うのはこれこれこういう自分の、意図や存在と言うものを、向上させ、創造させすることを共にしたいから、そのための「生」というもの、「夢」というもの、「喜び」というもの、それらをお前に期待しているんだ!ということを言われるんですね。
で、それは全く正しいあり方だ、平身低頭するしかないです。と言うことなんですね。
僕は、それらを否定してきました。なぜなら、自分にはそういうまともな存在方法が不可能で、何にもできやしなかったから、ということなんです。
つまり、僕は、何の可能性も提示できず、ただそこにいただけ、まあゴミ箱くらいにはなったかもしれませんが(笑)。

そういう経歴の人間ですし、何を考え、何を提示できるかはわかりませんが、修行にはなったかも。

補足しておくと、リンパの流れを良くするためにストレッチ方法が劇的に効いて、不調も回復に向かっています。
ですから、本来的な心と体の働きは、非常に良い状態へと変わってきています。
そういう余裕があるから、過去分析も可能になる。それの助けとして、詩があり、森雅之さんの漫画のような僕にとっての別次元があり、絆についての思い当たりがあるわけなんでしょう。

一人で歩むわけではないということを、恥ずかしくても悔しくても、認めなければなりませんね。負けることから得られるものもあるはずなんです。オイディプス王が背負った悲劇からは、神についての恐れとは、宇宙や自然であって、ヨーロッパ的人間の力とは、否定性として働いてきたのではないかと、考えます。そのうえで、現代の新しい生き方は、人々がその予言を潜り抜けてきた経験と知恵からこそ、もたらされるというちょっとした確信を持っています。
アメリカから見えることが何なのかはわかりませんが、どこを歩くべきか、どこを自らの道とするかということを、考えています。それが、失敗とはならないためにも。
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