詩ヌマデアイ詩テ[564]
2016 05/11 06:48
黒髪

>>563ハァモニィベルさんへ

そうか、生きている詩と死んでいる詩という批判精神をユーモラスに語った作品なんで
しょうね。面白いなあと、思いました。初読で僕は、詩全体が死んでしまったよと書いて
あるのかなあと思ったので、範囲を限定、規定して
ほしいという気持ちになったので、「指定」をしてほしいと言いました。
でも、死んだ詩にならないように、不断の前進と、批判から学ぶことなくしては、おまぬけさんになって
しまうということを、わかったような気がします。面白い詩だと思いました。
詩を殺すことは、自分を殺すことなんでしょうか。そうすると、自分を
殺そうとする者は、必然的に詩も殺しますから、精神の死の緩慢な
停止において、死と詩が相即であることになった場合には、そのentanglement
を解きほぐすなら、最強の力を手に入れられます。そのようにして、詩人は
自らに課せられた重荷を、おろしてほっとできる。
もちろんそのようなことが、あらゆるレベルにおいて成立しているのだ
という分別はしなくてはなりませんが、本当に死に近い人を、
救いたいと思うならば、自らが生きていないと、そういう行動をとったり、
発言したりすることが、不可能です。そのことが、ますます
我々に必要だということが、近年、明らかになってきています。

なぜある詩は死んだようなのか、書いた人はなぜ死を作り続けるのか、
と言った視点は、広く当てはまる見方でしょうし、詩の中で生き生きと
した生命を、与え続けるということは、すなわちそれで良い詩、意味ある
詩です。そしてそれこそは心の問題です。探偵のように、心と詩を解読
するとしたら、それは一人の生きている人間として、人が人らしく
あるための、願い続けてきた祈りの果てにある、現在と言うものが
心なぶること、生命の慰撫であると思います。
へたりこんでいないで、自分で立ち上がらなければならないとは、僕自身
にとっての、鼓舞です。死んでいてはだめだ、感覚器の助けもある、
そうした決意がもたらされた、ということこそ、この詩から僕なりに
導き出した、人から人への美しさです。
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