詩ヌマデアイ詩テ[341]
2016 04/10 13:22
ハァモニィベル

 澤さん。どうもでした。お題バトル的テイストもThanksです。
「過去ログの作品・・」が、カイトがぽややんと説明した場所だったんですね。どんな感じなのか、時折覗いてみます。
 

因みにカイトが逃亡中(多忙中)なので、
 チャン・ツィイー18歳の【こども論】を一言お願いします。

 るるりらさんが、
●――――――――――――〔引用開始〕
大人は子供より人間社会で生きてゆく上での情報が多いだけだと言いましたが、人は或る程度情報を得ると 自身の器に似合った情報量を超えると、情報をこんどは自身の中に取り込むことを止めてしまいます。情報が飽和状態になったら 受け入れることができなくなる。
――――――――――――●〔引用終了〕

と、当初いろいろ述べてくれていますが、この辺からはじめて徐々にみんなの議論がそれなりの深さまで展開していかないののでは退屈してしまうので。

カイト園長が、
●――――――――――――〔引用開始〕
2時間目は音楽、さん時間目は国語、四時間目は道徳

それから、給食ね。給食のメニューは「カレー」だから、カレーの詩をかいてね。
――――――――――――●〔引用終了〕

と言ったきり、休み時間が長すぎて、なかなか四時間目が始まらないけれど、そろそろ、

 《深層的人間》

ということことについて触れないと、何やってるの?で終わってしまう。

でも、なかなか《こども論》や「童心論」の掘り下げは困難なわけです。
それは、《深層的人間》=現代人の盲点だからで当然かもしれない。
だからこそ、論じる意味もある、というコンセプトで、我々は、今この公園で遊んでいるわけでもある筈です。

さて、
大人になるにつれて色々と付加されていくわけですが、
大人になるにつれて色々と失ってもきたのではないでしょうか。


私自身の幼年期は、むしろ大人でしたから、変わってるのかもしれない。
他の子どもが、「ブーブーが」とか、「ウマウマ」とか言ってる時代に、
私は、「乗用車が」とか、「たしかに青いトラックでした」とか、「そろそろ食事の時間じゃない?」とか言ってましたから。
そして、大人になったら、けっこう子どもの心も忘れないでいる。

「かれーのうた」

のまえに、

『となりの席の子』

という詩もいいでしょうね。
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