○現代詩フォーラム短歌部○[167]
2005 04/08 05:14
佐々宝砂

「なれば」について。これは已然形であって、仮定の未然形ではないと思います。
なので、「ならば」じゃなくてやっぱり「なれば」ではないかと。
(文語体の已然形については、古語辞典を見るとかウェブで調べるとかしてね)

「カルモチンとて」は「カルモチンであっても」という意味だと思いまする。
カルモチンはかなりたくさん服まないと致死量に達しないらしいので、
文章の上で正しいとて(「とて」を使ってみた)、
意味のうえで多少の違和感を覚えます。「カルモチンだから」死なない気がする。
といっても、「カルモチンなれば」とまた已然形を使うと余計にへんですね。
なので、まあ、「とて」でもいいかなあ・・・と曖昧に思う私なのでした。
太宰治だとカルモチンでないと話にならんのですが、
もっと致死量の少ないバルビツールを使うと、六十年代風になって、
別な作家の話にできます(歌手やなんかでもかまわない)。
私はバルビツールの方がリアルだったのではないかと思います。

ただし、せばさんの名誉のために言っておきますが、
彼はカルモチンの致死量まで調べたうえでこの歌を書いてます。
立派つーか、アホとも言います。

個人的に、太宰治は好きですが、太宰治について書くことに羞恥を感じます。
太宰治に思い入れがある、と書くこと自体がはずいです。
せばさんそのあたりどうなの?? なんで太宰治にしたの??
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