感想スレ[86]
01/09 20:55
ポロリ

「たとえそれが何の変哲もない日常であっても(つまり、どんなにヒーロー的でなくても)、そうした日常を送ることそのものをためらわない。それってその生活への愛」「ヒーローがヒーローたる原点である、ささやかなものへの愛」
そういう意図ならば、そうまとめて欲しかったです(w。ただ、ささやか過ぎて・・・あと、切り捨てられたものが・・・
まあ、いいだろう!今回は俺の負けだー!だが、覚えていろ!次こそは悪の帝国を!

Thank you

PS1:補語(目的語?)は「」より前の文章と連動しています(糞と同様)。また、PS2でも述べますが、補語が特定された線は補語が特定された点の集合と考えると、今まで生きてきた全ての行為が補語の対象になることになります。しかも何本も。
PS2:おっしゃられるとおり、「ためらわない」「くやまない」とはある状況において選択的に行われる判断です。なので、何も判断しないでよい時は選択は無いと思います。それは選択しているのではなく、選択の余地が無いのです。したがって、その領域は「点」で表現できません(無論線でも。ある行為をしてそれをずっと悔やまないというのは変です。何年もの全ての行動を脳が完全に記憶していることになります。いったん判断したら終了と考えたほうが簡単じゃないでしょうか。だから、解答としては、「全ての物事に対するスタンス」として望んでいました。一瞬一瞬の行為に対する態度ではなく、状態的な信念として。だから補語にこだわること自体、私は疑問です。)。また、これと感情の話も連動します。「感情」という言葉ではちょっと微妙な気もしますが。男脳・女脳というのが一時期はやりましたが、まさにこの問題でしょう。同時にいくつもの問題を考えられるかどうか。結局複数の思考は可能なわけですが、それとは微妙に違います。無意識的な領野で後悔していないという選択を個人は延々と続けているとは私は思いません。
PS3:ちなみに感想を述べたのは、現在、私の問題関心が「愛」だからです。ギャバンの「愛」がいまひとつ「愛」という感じじゃないので、残念です。でもそれが「ギャバンの愛」なんだから仕方ないですね(ギャバンの「愛」は、「愛」という語で、個人の精神的安定のために、個人の「割り切り」及び「切捨て」を隠蔽しているというふうに、私には見えることになります。私の愛の定義からは。)。結局、対象が無いあるいは抽象的な「愛」になるのでしょうね。
PS4:いってらっしゃーい。


PS5:あら?今、補語を調べたら、どうやら私が理解していなかったということがわかった。つまり、この場合は「〜に」ってことで、対象となる人・物を指すのかな?とかんがえたら・・・別に変わんないか。問題は生じないな。(「私は生きることをためらわない。」だと、「生きることを」が客語(目的語)になって補語いらないんじゃないのかな?絶対必要な文の成分なのかしらん?よくわからん。)
じゃあなんで、れつらりゅいち様は、「愛する」からむりやり「施す」にしたんだろう?(「人に愛を施す」だと、「人に」が補語だよね。「愛を」は客語?で、「人に」って必ず必要なのかな?「愛を施す。」・・・駄目だ。わかんねぇや。)「愛する」との関係では、目的語を考えればいいだけじゃないのか?これって中学の国語?やばいな。次回までには勉強してきます。スゴスゴ
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