2006 02/26 19:04
たもつ
かるたさん「人が飛ぶ方法」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=66586
作者のかるたさんから、他のサイトでもらった感想も含め詩の意図がきちんと伝わって
いないみたいだ、という相談を受けたのでこれを書いてます。
人が空を飛ぶ、飛べる、かつて飛べた、というシチュエーションは詩だけに限らず、物
語などでもよくある話です。辛口に言えば、「ありがち」です。
おまえが言うな、という感じもしますが。
出だしからいきなり
>昔、人は空を飛ぶ方法を知っていた
ときているので、この一行でげんなりしてしまった人もいるかもしれません。
人が空を飛ぶ、という話にありがちなのは、自己の解放を願うちっぽけなセンチメント
である場合がほとんどです。
つまるところ、書いてる方は気持ちよくても、読んでる方にしてみれば、供給過多なの
で、はっきり言えば「どうでもいい」ものが多いです。
さてさて、というわけで、しばらく読み進めようとするわけですが、実は一行目には
ちょっとした仕掛けがあります。
「昔、人は飛べた」
のではなく
「飛ぶ方法を知っていた」
ということ。
この二つは似ているようで、微妙に違います。
げんなりした人もいるかもしれない、と先述しましたが、この微妙なニュアンスの差に
気付いた人の中には、おっ、と多少の期待をもった人もいるかもしれません。
しかしながら、次の行から展開されるお話は、やはり「空の飛び方」ではなく、「空を
飛ぶことができた」お話になってしまってます。
それは6行目の
「でも今、人は誰も空を飛ぶことが出来ない」
で決定的となります。
「渡り人」という表現は多少面白さがあって、そそられるところでもありますが、それ
ならばもっといろいろな事例を述べないと、面白いこと言ってるでしょ?という作者の
ただの発想の披露で終わってしまいます。
おまえが言うな、はい、すいません。
例えば、空を飛べた人間の暮らしぶりとか、あるいは逆にペンギンやダチョウのように
飛べなかった人がいたりとか、その葛藤とか。
そのあたりの構成に若干の幼稚さを感じてしまう、というのが偽らざるところの本音で
す。
ところが、
「頭を軽くしないと飛べないんだよ」あたりから、この詩の様相は一変します。
起承転結でいえば、「転」にあたります。
そして最後の、どんでん返し、もしくはオチへとつながっていきます。
やっと本題めいた感じになりますが、この最後の部分が、この詩を難しくしています。
作者の意図を伝えにくくしている、つまり作者と読者の壁となってます。
ありきたりだとか構成が幼稚だとか自分を棚にあげて散々言いましたが、実はそのまま
終わっていれば、完成度や作品の価値は別問題にしても、作者と読者の壁はありません
でした。ちっぽけな感傷の吐き出しという点において。良くも悪くも。
作者にしてみれば、人間が空を飛ぶ、なんてどうでも良かったのでしょう。
さて、それで「壁」の件ですが、このあたりの切り替えがうまくできなかった、という
ところに原因がありそうです。
もの凄くシンプルに構成面から言えば、
「痴呆だった祖父は 生前、良くそう言っては笑っていた」
の「そう言って」の部分がどこからどこまでなのか、が明確ではありません。
その線引きをぼやけさせる、というのもテクニックとしてはあり、なのですが、この場
合は単に構成の甘さ、と考えた方が自然な感じがします。
その構成の甘さにより、読者はどこに視点をおいて良いかがわかりません。
「痴呆」という言葉の生々しさにも多少の戸惑いを覚えます。
自己の解放、というところは完全に否定されましたが、亡き祖父への想いに視点をおけ
ば良いのか、それとも大切な人が老いていってことへの寂しさに視点をおけば良いのか、
その二つの入り混じったやるせない気持ちに視点を置けば良いのか、それとも、もっと
根源的な人の生に入り込んでいけば良いのか。
不必要なところで語り過ぎてしまい、肝心なところが何も語られてない、という印象だ
けが残りました。
それでは、どのように書くべきだったか。
・祖父の冗談がどこからどこまでか明確にする。
・そのためには前半の夢物語てきな話は、たとえそのすべてが祖父の冗談であっても、
あえて必要最小限にして切り捨てるべきところは切り捨てる。
大切な思い出なのかしれませんが、何かを語る、のであればあえて、(一見)冷徹
に振舞うことも肝心です。
・祖父と語り手との距離や立ち位置を明確にする。
そんなところを踏まえて、自分ならこう書く、というところは私信で送ります。