2014 08/23 19:35
ゴースト(無月野青馬)
「上遠野浩平『ソウルドロップの幽体研究』のあとがき」
僕は、上遠野浩平が好きで、昔から読んできました。
作品よりもあとがきが好きで、
あとがきを読む為に本編を買っているようなものでした。
・・・膨大な著作の中から、
一番好きなあとがきは何か?といえば、
僕の場合は『ソウルドロップの幽体研究』のあとがきになります。
この作品は、ブックオフなんかでは100円で売ってますし、図書館にも大体置いてあると思うので、
あとがきを読みたい方がいたら、
チェックしてみてください。
この感想文の中では、全文の引用は出来ないので。
・・・さて、
そのあとがきですが、
「天使を憐れむ歌」という題が付いています。
ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」のパロディですね。
まず、この遊び心に惹かれます。
では、上遠野浩平は、天使の何を憐れんでいるのか、といえば、
それは、機械のような部分を憐れんでいる。
どんなに純粋で美しくても、
負けたり挫折したことのない天使は、
寂しいということも、ささやかな喜びというものも、理解出来ないだろうと、上遠野浩平は書く。
歌を聴いても、揺さぶられるものを持たないから、分からないとする。
その上で人間を省みる。
人間は揺れ動く。
昔に「これは実はつまんないものだったのかな」と捨て去ってしまった曲を、
ふと聴き返してみたら、新たにこみ上げてくるものがある、ということもあり得るだろうと書き、上遠野浩平は問うている。
そのときに不滅なのは、
その歌なのか、我々の心の方なのかと。
そして、
最後に、いずれにせよそれは、天使などではなく、人間でしかあり得ない。
と纏める。
・・・そんな途方もない考察をする上遠野浩平が僕は好きなのです。
彼の考察は、
読者1人1人に浸透するだけの、
普遍性と多義性と拡張性を備えています。
僕達は、
上遠野浩平の考察を自分のものに出来る。
上遠野浩平は自分の考察を読者にダイレクトに投げる。
そんな関係性に、僕は、理想の作家と読者の姿を見出しているとも書き添えておこうと思います。
人間は、有限である。
天使は、無限であろう。
ですが、
有限なのは人間だけではありません。
空気も、水も、太陽も、地球も、有限です。
有限に囲まれた人間達と、
無限に囲まれているであろう天使達。
どちらに真の優劣があるのか、
本当のところは、
判らないのでしょう。
上遠野浩平の目線も人間の目線だから。
もし、天使が小説を書いていたなら面白いですね。
天使目線が読めるから。
ただ、この諺は真実だろうと思います。
“隣の芝生は青い”
僕達は、
あとがきの最後に上遠野浩平が言うように、
一歩一歩進むしかないのだと思います。
やがてどこかに辿り着くと信じ続けながら。