2014 04/13 05:07
澤あづさ
>>62 蛾兆ボルカさんへ ※横槍を熱烈に歓迎します。
ボルカさんに悪意のないことはわかりました。
が、この文面は、拷問レベルの難文で、脳みそ破裂しそうです。
>だから僕にとっては、言語学と言えばソシュールなのではないわけ。
>そんなの変だ、やっぱ言語学と言えばソシュールじゃないか、と澤さんは思うかもしれない。あと近代とか現代(ポストモダン)とか言うなら、とかね。それは当然なのかもしれません。だけどしょうがないじゃん。僕は違うんですよ。
>もちろん、澤さんがまずソシュールの話だと考えるのは妥当だろうとは思いますが、ソシュールの名前をあげてるのは澤さんなんですよ。
わたしは
>>38で「ソシュールはつまらん」と断言しました。
そのうえで「語学はポスモの言語学ではない」「日本語文法はソシュールではない」と主張し「文法」(語学)の話をしていました。
そのわたしがなぜここで、ソシュールの伝道者であるかのように仕立て上げられ、言及していない言語学知識についての説教を受けなければならないのか。この圧倒的な冤罪の時点で、お話についていけません。
>僕は自分の詩作や生活において、赤ん坊の言葉とか、失語状態のひととのコミュニケーションとかが思考の主要テーマのひとつです。それは過去の作品で示せます。また、暗黙知とか、「まことの言葉」とか、「予知」とかといった、知性の限界の(信仰と言われても異存のない)領域に長く親しみを持ってきたのです。ソシュールからは遠い感じがします。
わたしが親しみを持っている分野(文法=語学)も、ソシュールとはまったく異なる次元にあります。
そのことを
>>38できっぱり述べましたが、つまるところ、
>>51と
>>54の内実はこういうことでしょうか。
親しみのある分野が違っても「ソシュールはつまらん」という見解の一点では共通している二名が、好きでもないソシュールを介して、ソシュールとは関係ない語学と「まことの名前」を、それぞれ一方的に述べていた。
それで、話が通じるわけないですよ、
わたしは
>>51の解読にすこぶる難渋し、そのうえ返信のために、つまらんからしたくもないソシュールジャーゴンカオスの定義を指摘するという労まで強いられました。
「おまえがかれにしたのもこういうことなので、ガン無視されてもしかたない」という教訓の事例でも挙げてくださったのなら、ありがたいご教示ではありますが。わたしには、ここまでの難文解読をかれにしいた記憶はないです。
>ソシュールが講義録のなかで、言語学のやるのは語学じゃないよみたいなことは、言ってたような気がするな、程度には印象にありますが。
>どんな言語学のどんな面と、どんな意味でその文法論が無関係なのか、わからない。
「ソシュールの言語学は語学ではない」と認識しているが「日本語文法(語学)はソシュール(言語学)ではない」という主張の意味は理解できない。とおっしゃるんですか。
でしたらわたしには、もはや説明の手段がありません。
わたしのなにが悪くてこの齟齬が生まれたのか、反省したいのは山々ですが、詭弁で自虐を捏造するのはばかばかしいので保留します。
ボルカさんは結局、
>>51でわたしのなにを指摘なさりたかったのか、この一点だけ教えてください。