2014 04/12 20:26
澤あづさ
>>53 こひもともひこさんへ
※ツイッターでのご発言にも関係して。
>>53の物言いは、確かに物言いが悪すぎました。その点は謝罪します。
わたしはこひもさんの人柄を信頼していますし、方々でいただいたご意見に感謝しています。
だからこうして話につき合っていただいているわけです。
自作解題に関しては、絶対的に必要になる場合もあるでしょう。
たとえば曲解によって、名誉毀損に相当するような中傷を受けた場合です。
わたしにも、執念深い自注まで添えた思い入れのある詩を、すさまじい曲解で犯罪行為と糾弾され、なぜこんなものを書いたのか説明しろ説明しろ説明しろとすさまじく粘着されて、しまいにはキレたことがありました。
しかしそのお相手は、わたしが作品を解題したら、あっさり納得し引いてくれました。
話せばわかる人だったんだから、ちゃんと話せばよかった、議論の相手を信頼しなかったのが悪かったんだと、あのときはずいぶん後悔したものです。
が。
そこまで他人に粘着し糾弾し続けるという行為にも、相当な問題があったと思います。
こひもさんがそんな人でないことを、わたしは知っていますが、ほかの人の目にどう映るかはわかりません。
「口は災いのもと」の格言どおり、どんな語弊がどんな誤解を招くかわからないからです。
>>48のような事態に至ると、お互い生理的に無理ってことで話が終わりますが、語弊を避ければ話し合える場合もあるかもしれないのに、それに努めないのはそれこそ「もったいない」と思います。
わたしは自作解題しない作者についての私見を、
>>25から再三に渡って述べました。
「だからと言って自作解題する作者を否定したいわけではない」ことについても、
>>47で述べました。
自作解題をすることにもしないことにも意義はあり理由がある、一概にどちらがいいとは言えないはずだ、「自作解題しないのはもったいない」と決め付けることはできないはずだと、言葉を尽くして説明したつもりです。
これでもこひもさんに「自作解題しないことにも利益がある」(作者の解題の代わりに読者の読解が隆盛する)と認めていただけないなら、とりあえず諦めるしかありません。
それを認めていただけるほどの読解を書けるように、一生かけて精進します。