HHM2(第7回批評祭)!!!!!!![54]
2014 04/11 21:06
澤あづさ

>>51 蛾兆ボルカさんへ

 (ΘェΘ;)
 見解が違いすぎて、趣旨が正直よくわかりません。

 とりあえず再三述べているように、「ポスモの言語学は文法と関係ない」とわたしは考えています。
 あの類が重視するのはランガージュ(言語活動)で、ラング(言語)ではないからです。丸山圭三郎を読んだ限りでは、そのような印象だったからです。

 ラング(言語)にはパロール(話し言葉)とエクリチュール(書き言葉)があり、その法則を扱うのがいわゆる「文法」です。とわたしは認識しています。
 ボルカさんは文法と「書法」を混同なさっているようだけれども、文法は「言語の法則」であって「書法の法則」ではありません。当然、パロールも文法の範疇です。

>『シニフィエとシニフィアンが必然的に結び付いている』、というゲド的な発想は、ポストモダニズムの流れのなかで、ソシュールを源流とするひとびとによって、一度否定されたけど、みんながみんな、そう感じてるわけじゃないですよ。

「みんながみんなそう感じてるわけじゃない」からこそ、自分ひとりで勝手に考えた説明不足のシニフィエ(記号内容)は、他人には通じないわけですよね。なぜなら説明不足の文脈では、レフェラン(指示対象)を特定できないからです。
 そんなことは、ポスモの言語学なんか勉強するまでもなく、国語力があれば中学生でもわかることです。

>魔法学校で魔法使いの弟子たちが学ぶという、『まことの名前』みたいなことも、そうそうむげにできません。

 それはなんつうか、信仰の自由ですね。
 つまり、信仰しないのも自由です。

 他人に「自分と信仰(価値観)を共有しない自由」を認められず、自分の価値観を他人に強要しようとする向きを、世知辛い世間は自己中とか差別思想とか恐怖政治とか呼ぶわけです。まことの名狂信者は、布教活動に慎重になるべきです。

>文法学で詩を解析することには限界はあるでしょ。

「文法」で「文章」を解析する人間がいても、「文法学」で「詩」を解析する人間はいないと思います。
 当然、わたしがあの場でしたことは「文章の文法構造の解析」であって「詩の解析」ではありません。そもそも口語自由詩に解析手段なんて存在しないでしょう、特定の書法が存在してないんですから、解析の対象が存在しません。
 そんなことは、まことの名狂信に騙されない程度の学力さえあれば、中学生でも理解できるはずです。中学の国語と英語と数学で教わっているはずです。

>もちろん、だからと言って、文法が無意味なんてことはない

 文法の丸暗記なしにラテン語を習得できる人間がいない以上、「文法が無意味」なんて超絶イミフを伝道するのは、まことの名狂信者だけだと思います。
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