HHM2(第7回批評祭)!!!!!!![53]
2014 04/11 21:05
澤あづさ

>>48 こひもともひこさんへ

 あー……。最凶黒歴史が……。
 わたしだったら、わたしみたいなやつには、絶対レスしたくないお……。

 コメ欄での自作解題に関するわたしの考えはいまでも、あのとき述べたとおりです。
 いかにも難解な作品を必死こいて読解しレスしたのち、作者に詳らかに自作解題され「あなたの意見は誤読です」と宣言されたら、わたしは恥ずかしいです。
 田中宏輔さんの英訳詩(http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/352.html#20130101_614_6588p)のコメ欄で行われていることは翻訳の研究であり、作者が不在ですから、「作者が評者に対しいやみったらしく披露する自作解題」とはわけが違います。これは自作に対するコメント授受を「研究」と定義するか「評価」と定義するかの相違かもしれません。
 評価なら、粛々と甘受せねばなりません。ド素人のネット詩を共同研究してくれる親切なレッサーなどふつういません。
 こひもさんの例は特異すぎて、一般化するには無理がありすぎます。

 わたしはプロ詩でいかれた作者(もちろん圧倒的少数です)にさんざん徒労を食らわされ、嫌気が差してプロ詩のレッサーを引退したほど、「レッサーに恥をかかせたがるくそ作者」が嫌いです。
 にもかかわらず、自分自身がその恥ずかしい作者の典型なんですよね。そういう自分に嫌気が差して詩を書くのをやめたほど、いやみったらしい恥ずかしい作者が嫌いです。
 だから>>25に書いたとおり、自作解題で読者に恥をかかせない詩人を、心から尊敬します。

 繰り返します。
 自作を解題しないということは、自己完結しないということ、作品の読解可能性を作者の独善でつぶさないということ、読者を信頼して作品を委ねるということです。
 紅月さんが自作を解題しないのは、心ある読者に気づきの財産を与えるため、鑑賞の楽しみに水を差さないためです。わたしは紅月さんを心から尊敬していますから、かれの信条に絶対的に表敬します。

 ですから、

>「水魚(紅月)さん『delphinium』に関するコメント授受」は、作者の側に、もう一歩踏みこんだコメントをして欲しいですね。

 このご意見、つまり紅月さんに対するこういう態度には、絶対的に反対します。
 対話は、得られた回答で満足すべきです。作者が「言いたくないから黙っていること」を、自分ならそうはしないという理由で、無理やり吐かせるのは横暴です。
 答えないという行為も回答ですし、その行為の意味を読解するのも文学だと思います。
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