2005 06/26 00:39
佐々宝砂
>>277
私も議論したくはないし、益野さんの気持ちはわからないでもないので、私の気持ちを率直に書いておきますね。
私は、いとうさんが未詩ばかり投稿してる理由が謎だったのでして、私の気持ちを書くならば、本当に、それだけです。いとうさんに直接個人的に訊ねれば、それで私はすっきりしたのかもしれません。大騒ぎになってしまったのは、私がいとうさんに直接丁寧に訊ねることをせず、普段つるんでいる山田せばすちゃんとチャットで馬鹿話をしているさいに、いとうさんの未詩投稿について話を出したからです。チャットをいきなり張り出されたのは、ほんとのところを書けば私には大迷惑ではあったのですが、私自身が他に大迷惑をかけていたと思われるし、私自身にもうかつな点はあったので、下手な弁解もしたくありませんでした。場をよけい混乱に陥れたこと、退会する人を増やしてしまった点では、深くお詫びします。バトルスレを立てたことについても、いまはかなり反省しています。
山田せばすちゃん氏はじめ、未詩カテゴリの批評禁止に問題があると考えている人はいくらか確実にいますが、私は未詩カテゴリの批評禁止を悪いことだと思っていません。いとうさんが自分の作品を未詩におくことも、悪いことだと思っていません。私はいとうさんの詩を批評したくてわあわあ言ったわけではないのです(ボルカさんなんかはたぶん、私がいとうさんの詩を批評したくて大騒ぎしたと思っているかもしれません)。しかし、結果として、そのように見える事態になってしまったのは、やはり私のやりかたが悪かったからであったと思います。
批評されたい人がたくさんいることは知っています。私は批評しなきゃいけない立場にもいます(現代詩フォーラムにおいて、ではなく、別な場所で)。でも私はほんとうのことを言えば、批評したいものを批評したいのです。したくないものはしたくない。わがまま勝手に思われるでしょうが、私にとっては、詩作が自分の感情の発露であるのと同程度に、批評もまた、自分の感情の発露です。批評したくない、批評するべきでない、批評できないと思えるものの批評は、私にはできません。批評できない作品なんかないと言い切る人もおりましょうが、私にはできません、無理してやると変なことになります。
批評してほしいという人たちの作品を何作も何作も批評して、疲れ果てた時期が、私にはあります。それこそその時期が私の熱意の空費だったのではないかと思うときもあります。もちろん、バトルリングの大騒ぎの方が疲れるし、思ったような成果もあげられなかったのですが。
公開の場で騒いだ理由は、個人的なものです。私は私信がおそろしいまでに苦手なのです(そうなったのは、ネットストーキングに近い目にあったからです)。しかし、公開でやるべきではないことがあるのだなと今回しみじみ実感し、また益野さんの意見もある程度身に沁みましたので、私信でやるべきことは私信でやろうと思います(かなりつらいんですけれども)。
ご意見ありがとうございました。