2005 06/25 23:15
「ま」の字
まず、佐々さんへ
>他人の内面をいくらか知りたいと思ってはいけないでしょうか。理解しようとしては
>いけないでしょうか。
いけないとは思いません。「規制すべき」「禁止すべき」話ではない、という但し書きが着きますがね。ただ、逆にこの問いにどれほどの意義があるのか、つまり「禁止すべき」事じゃ確かにないが公開された場で「やらねばならない」事であったのか。また、もっと別のきき方なりあったのではないか、というのが個人的感想です。別の言い方をすれば、
>個人的には意義がありました。すっきりしました。
とおっしゃるような、個人的なモヤモヤを解決するには、ちょっと大騒ぎだったのでは、という感想です(いとうさんご本人の沈黙については、バトルスレだかで、「糾弾してやろうかと思う」みたいなチャット文がいきなり張り出されるような状況であった、ということも考え合わせる必要があります。あれじゃいとうさんが私でも一身上の弁明はためらうでしょう)。
しかし、いずれにせよ佐々さんにとっては落着した件のようです。私もゴチャゴチャしたくありませんので、「こう感じた人も居るんだ」ということで今後のご参考にしてください。
ここからは佐々さんの話とは別になります。
「未詩」をめぐる議論(議論をちゃんと全部読んだわけじゃない男が書くのはアレだと重々承知していますが)について。ためらいつつ、でも正直なところを。
あの議論には私はフクザツでした。私は一度ここのフォーラムを退会してますが、その退会理由と重なる部分があったからです。
毎日大量に「自由詩(批評OK)」に詩が流れ込んでいる現状を横目に、「未詩」に対する批評の当否がどうこう血眼になっての論争。そんなに批評が大事なら「自由詩」の諸作にどんどん批評すればいいじゃないか。と正直思いました。作品を批評することよりも、システムやら姿勢の議論をすることの方が大事なのかと。少々的外れでしょうか? しかし、
かつて自分の詩に対する有益な批評を渇望し、しかし批評文ひとつ得られず。ついに自分がここでは相手にされていない、いや相手にされない実力不足は肝に銘じるとして、ここと波長が合っていないのは事実だろうと結論して去った男からみれば、まさに血の涙の出る思いでしたよ、空しさで。
「どうして求めている人たちの相手をしてやらないんだ?」って。
才能や熱意ある人たちが、その才能や熱意を空費している。つまらないな、と心底思いました。
議論の蒸し返しをしたいわけでは全くありません。たくさんです。これも読んだ各自が今後のご参考にしていただければ、と書かせてもらいました。
またもオンライン書き、失礼いたします。