雑談スレッド6軒目[271]
2005 06/23 23:56
「ま」の字

 あまりこの手のことには関わりたくないし、その能力もない(私はぽんぽんと論争できるタイプではない)ので、書かずにきたけれど・・・。

 どうしてそんなに「スタンス」を問題にするのかなあ。と、やや悲しみを込めて思う。そりゃ自分の発言には責任持つとか、盗作剽窃はしないとか、そういう意味では「スタンス」は大事だと思いますよ。そりゃね。

 たしかに「なんでいとうさんは未詩にばかり出すのかなあ、そんな変な出来栄えというわけでもないものまで」とは私だって思っていましたがね。しかし「ま、いいか。なんか事情や考えががあるんだろうし、未詩に出して悪いってわけでもないし」というのが正直なところでした、私としては。つまり「いちいち目くじら立てる(詩作に割くはずの精力をこっちに注ぐ)ことでもないな。言葉は悪いけれど、まあ知ったこっちゃない」と思ってきたわけです。
 で、「人に批評されることを避ける者に、人を批評する資格があるのか」って主張も、確かにかなりの説得力はあるけど、「なんか事情や考えもあるのかもしれない(なぜ彼が未詩に投稿しているのかはっきりしない)」状況でギャーギャー言うもんでもないしー・・・。

 「だからこそ“人を批評する資格を問うという意味で”、なぜ未詩にばかり投稿するかを聞く意味がある。彼は弁明する義務がある」とおっしゃるんでしょうけど。正直どうも馴染めない。

 やっぱ、「そんなどうでもいいこと・・・」と思っちゃうんですよね。

 私ね、未詩だろうがなんだろうが、その詩がいいか悪いかって事しか関心ない。って言ったら大げさかも知れんけど、少なくとも私の関心の柱はそこです。「武装放棄」(でしたっけ)にしても、「こんな安全圏でしゃべるってることは信用ならん」みたいな話もあったようですが、これは創作なんですから、少し落ち着いたらいかがですか? と声をかけたいです。確かに説得力あるすばらしい作品には何がし「真実(ホント)」があるってのはその通りでしょうけど、作品に書いた主張がそのまんまその人の主張でなきゃならんみたいな、ナイーブな話ではないと思います。大体どこに置いてあったっておんなじじゃないですか、作品としては。それに作品の価値はその思想的な立場によるわけでもないですよね。大雑把な言い方ですが「出来栄え」が問題なんですよねふつう。
 また、「人を批評する資格」にしたって、ほんとのところ「資格」なんかより「力量」が問題だ、と思うんですがねえ。あ、もちろん「力量」をアピールするために「資格(たとえば公平だとか、ズルをしないだとか)」は結局必要にはなってくる、ってのは分かりますけど、最重要なものじゃないように思うんですよ。やっぱり。

 なんか昔あった「過激派の内ゲバ」とかと一緒に見えちゃう。真剣なんだろうし、純粋であるかもしれないけど、肝心の革命の成就は? ってはなしが路傍にほっぽり出されて「純粋競走」に熱中、興奮するわ罵り合うわ喧嘩好きが露呈するわ(すいません「喧嘩好き〜」は言いすぎですかね)・・・。 そんなに「スタンス」つまり「姿勢」とやらが大切なんですか? 作品そのものよりも? 信用ができない人物が書いたら即ダメな作品? いや、私にしてもネット上で人を呼び捨てにしての罵り合いをしていた人物が「ボクは平和のぞむんだ、お星様きらきら」みたいな詩を書いたら確かに「え〜!」とは思うでしょうよ。そりゃね。 問題はバランスというか、総合的判断というか、そういうことではないでしょうか。「純粋」は褒め言葉とは限らない。あるスタンスを本当に純粋に追及し透徹すると自己破綻することは、良くあることですよ。芸術・思想関係の場所ではよく起こることだとは思いますが、最近「スタンス」やら「姿勢」やらの追求がちょっと行き過ぎているんじゃないか、と正直思います。

 ここは詩のサイトだよな。 いったい詩はどこいったんだ? 作品そのものについて述べることは? って思っちゃうんです。

 オンラインですのでちょっと変な文章かもしれません。申し訳ない
スレッドへ