2005 01/09 05:18
銀馬車でこい
はじめまして。いきなりDecoyです。ちょっとお題目としては、
やや哲学的で、他ともつながりがあるかも想うところなので
どうかお付き合いしていただければと思うところ。
さてぶっちゃけて、「永遠」がないのか、またはそれは嘘なのかと思ってのお題。
俺は、永遠はある、永遠は真実のことだって思う方なので。
議題のテーゼは「永遠はある」ということで。どうでしょう皆さん。
永遠がないって言う方が多いみたいだから、
やや面白いと思ってこんなこと題材にしています。
永遠が嘘かどうか、または永遠は真実ではない、または永遠はない
というテーゼがあったとして、それは、虚位あるいは虚構それ自身だと思う。
いかがでしょう?永遠があることは、全ての批評に通じる壁としてのテーゼだと思うし
「永遠」であることからは、誰しもが逃れなれない、とは思う。
五感には、永遠が存在するとはっきり思う。自分という意識が存在するとして
または自分という経験が存在するとして、永遠はあるとは言えると思う。
永遠という信用がなければ、言葉とは信用ではないでしょう。間違いなく、
詩は詩として、議論は議論として、成立し得ない。誰かが残そうとする言葉は
意味だけでなく無意味でさえ存在しようとしない。つまり言葉が信用でなければ
明日には明日のニュースがあるだろうという楽観でさえ許しえない。
したがって、永遠はあるという言葉は、テーゼとしては成り立つとは思う。
ただ、永遠の言葉という存在が、ただ真実であるかどうかは別だろうとは考える。
しかしながら、永遠という言葉は何を対象にするのかということについて
それを問題にすべきなのだろうとは思う。存在の有無のような存在感それ自身が、
永遠を求めるか、と言えばそれは、そんな充足感は、
真実などでは決してないとは思う。問題は真実だと言える。
永遠と言う時間が存在しうる場所で、誰が何を真実としているのか
真実としていたのかということでしかない。永遠とは、
何かの結果なのかもしれないし、問題とされようとする
真実のための環境なのかも知れない。ただ永遠と言う時間は、
必ず存在するとはっきり思う。自分が死ぬまでという意味です。