コーヒースレッド[88]
2012 11/12 11:48
深水遊脚

とりとめもなく。

 HHM(批評祭)の告知とそれに関する文章が散文カテに投稿されたので、今日アイデアをラフスケッチにまとめていた。やはり力が入るのはコーヒーを書いたものだ、という結論に至ったのはいいけれど、対象としての作品が存在することが重要みたいだ。何でもあり的なことは散文に書かれていたけれど、詩に関連しないといけないかな、とは思う。批評の作品との距離や立ち居地についての議論がそもそも主催者が批評祭を再開しようとした発端であるから。

 実はこのコーヒースレッド、コーヒーと詩の類似性から、詩のひとつの切り口としてコーヒーが有効に作用するのではないかという思いも秘めて始めたものです。現代詩フォーラムの会議室のスレッドにあってもいいのではないか、と思いました。なくても何とかなる嗜好品だけれど、忘れられない味の体験というものも確かにある。その体験をするとそれなしで生きていられない気分にすらなる。言葉にすれば複雑になるけれど、実は身体が求めているものがきちんと満たされれば身体が喜ぶ、という単純な営みに過ぎない。その単純なものが満たされそうでなかなか満たされない。満たされた経験をもとに求めるものを探しても、同じものには二度と出会えなくて彷徨うことになる。言葉に翻訳しようとするけれど味覚を綴る言葉は頼りないか嘘くさいかのどちらかになる。

 言葉を信じきれないけれど、自分が切実にそれを必要としたことは言葉によってしか伝えられない。辛うじてそう考えているから私はここで詩を読み、たまに詩を書くのかもしれない。
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