古書肆 新月堂[5]
2004 11/28 19:41
佐々宝砂

「閑情の賦」 陶淵明

清音を激して以てわれを感ぜしむ、
願わくは膝を接して以て言(ことば)を交えん、と。
自ら往(ゆ)いて以て誓いを結ばんと欲するも、
礼を冒すのあやまち為(た)るを懼(おそ)る。

鳳鳥を待って以て辞(ことば)を致さんとすれば、
他人のわれに先んぜんことを恐る。
意(おもい)惶惑(こうわく)して寧(やす)きこと靡(な)く、
魂 須臾(しゅゆ)にして九遷す。

願わくは衣(ころも)に在りては領(えり)と為り、
華首の余芳を承けん。
悲しいかな 羅襟の宵に離るれば、
秋夜の未だ央(つ)きざるを怨む。

願わくは裳(しょう)に在りては帯と為り、
窈窕(ようちょう)の繊身を束ねん。
嗟(なげ)かわしいかな、温涼の気を異にすれば、
或いは故きを脱ぎて新しきを服(き)るを。

願わくは莞(かん)に在りては席(むしろ)と為り、
弱体を三秋に安んぜん。
悲しいかな、文茵(ぶんいん)の代り御して、
年を経(ふ)るに方(あた)りて求められんことを。

願わくは糸に在りては履(くつ)と為り、
素足(そそく)に附きて以て周旋せん。
悲しいかな、行止の節有りて、
空しく床前に委棄せらるるを。

願う所は必ず違(たが)うを考(おも)えば、
徒らに契闊(けっかつ)して以て心を苦しむ。
情を労して而も訴うる罔(な)きを擁(いだ)きて、
歩して南林に容与す。
木蘭の遺露に栖(やす)み、
青松の余陰に翳(かく)れん。

もし行き行きてみること有らば、
欣びと懼れと中襟に交々(こもごも)ならん。
竟(つい)に寂寞として見(まみ)ゆること無く、
独り悁想して以て空しく尋ねん。

葉は燮燮(しょうしょう)として以て条(えだ)を去り、
気は凄凄(せいせい)として寒に就く。
日は影(ひかり)を負うて以て偕(とも)に没し、
月は媚(なま)めかしく雲端に景(ひか)る。

徒らに勤(くる)しみ思いて以て自ら悲しみ、
終(つい)に山に阻まれ河に滞る。
清風を迎えて以て累(わずら)いをしりぞけ、
弱志を帰波に寄せん。

蔓草の会を為すを尤(とが)めて、
邵南(しょうなん)の余歌を誦せん。
万慮を担(うちあ)けて以て誠を存し、
遙情を八遐(はっか)に憩わしめん。


(岩波文庫版『陶淵明全集』読み下し文から抜粋)
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