詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換 part2+α[76]
2011 11/21 18:01
深水遊脚

 下記は詩のなかで使われる比喩とは、おそらく全く違います。新聞には公のことを誰にでもわかりやすく書くという目的があります。ミスリードの危険性というのを書きましたが、本当にミスリードしてしまうようなダメな記者は一面記事は書かないだろうし、万一書いてしまったら各方面からものすごく叱られます。社会的責任の重さが全く違います。

 公に誠実であるべき新聞に対し、文学は私に誠実であろうとするのでしょう。そこには別の切実さが現れます。私は、目の前の作品を理解できるか、楽しめるかは別にして、作者の切実さは疑わないようにしています。作者にとってその言葉でなければならなかった、ということは前提に詩を読みます。用意された言葉のなかにその人が使うべき言葉はなかった。言葉の意味のみならず、改行、余白、連分けなど文字の配列についてもです。比喩も切実な言葉の選択の結果です。成功と失敗を判断するのはせいぜい文学賞の選考委員でよいのだと思います。あとは同人の間での合評会にも、その判断は必要です。好きな詩を好きなときに読んでいる私は、ジャッジするのではなく、むしろ異空間の遊びに参加するような気持ちで読むことにしています。どうせ読むなら楽しく、がいいです。
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