2011 11/21 17:32
深水遊脚
隠喩にしても直喩にしても、当たり前のものとして我々は使っています。詩ではなくても。新聞が使うのは、わかりやすく伝える比喩ですね(ここで新聞をひっくり返してさあ比喩を捜そうとした瞬間、目に飛び込んできた文が下記です。びっくりしました@笑)。
「東日本大震災後の落ち込みから持ち直し傾向にあった輸出が足踏みしている。」
本日付の日経新聞夕刊一面トップ記事本文の一文目がこれです。「落ち込み」は輸出の減少を指し、「持ち直し傾向」は減少した輸出が再び増加しつつあることを指し、「足踏みしている」は再び減少したことを指しています。2文目以下で本文中に出てきた輸出が「輸出額の前年同月比」を指すことが明らかになります。前年と比較することが妥当か?という疑問を挟む余地はあると思います。でも「輸出3ヶ月ぶり減」という見出しと、「落ち込み」「持ち直し」「足踏み」の3つの比喩で何となく皆が納得してしまうような輸出額の変化を読む人にイメージさせてしまう力は持っています。これは正確さを犠牲にして経済がどうなっているかをわかりやすく伝えるレトリックです。ちゃんと勉強するときは、数字の意味を正確に読み取って、イメージは払拭しないと、いま起きている経済現象を正確に理解することはできません。でも専門外の人にはあたらずとも遠からずの雰囲気が伝わればよいのだと思います。
わかりやすく、というのはこういう構造をもっていると思います。予備知識がない人にも感覚的に受け入れられやすい代わりに、ミスリードの危険が伴います。2文目以下に正確な数字の説明は確かにあるし、記事に差し込まれたグラフの目盛が「%」だし、よく見れば「前年同月比」とグラフにも書いてあります。でも「落ち込み」「持ち直し」「足踏み」がイメージさせるのは今年の動きだけです。増加か減少か?増加又は減少の幅はどれくらいか?そもそも何に対する増加又は減少か?そういったことを確かめる方向には、この新聞記事は人を促さないでしょう。
>>77
可能な意味の範囲であることと、比喩であることは矛盾しません。もっとも、すでに辞書に登録されてしまったような比喩(「衛星都市」「猫の手も借りたいくらい」「星の数ほどある」「反故にする」「年貢の納め時」などなど)は慣用句など比喩とは別の名前で呼ぶでしょう。でもその生成過程は比喩をひねり出すのと同じ心の動きがあったのではないでしょうか。そして、定着した比喩は可能な意味の範囲だからこそ定着したといえるかもしれません。蛙さんの言葉でいえば普遍性があったから受け入れられ、気の利いた表現として重宝されたのでしょう。