詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換 part2+α[73]
2011 11/17 09:43
深水遊脚

 限定、無限定の話でもうひとつ。

 たしかに作者は詩の言葉を発するごとに限定をかけて行きますね。複数の意味を含ませる場合も(その実力のある作者がいたとすれば)作者が含ませた意味のオプションの範囲で読者が選び取るという構図も生まれてしまいそうです。私が読者であれば、そういったあからさまな選択肢を嫌います。

 あくまでこれは詩を書いたり読んだりの話。お笑いの場合、ある程度の「お約束」は嫌うところか、むしろそれを期待してしまうし、気分の浮き沈みの激しいときに、即効性のあるJポップを聴くこともあります。ごく個人的な話で恐縮ですが、刑事ドラマ「相棒」が大好きなのですが半分以上は「お約束」の展開です。上層部は隠蔽体質でみょうな空威張りをしている。捜査一課と特命係はいがみ合っている。そんな状況で特命係の杉下右京が事件の見逃された部分を拾い上げて冷静に真実に迫る。そのお約束がなければあのドラマは見ないと思うし、最近そのお約束の部分が微妙に変わってきていて違和感を覚えることが多々あります。

失礼。個人的過ぎました。

 多かれ少なかれ、先入観からは誰も逃れられないと思うのです。読者もまったく無限定なわけではない。何か期待するものがあると思うのです。最近の傾向として、期待通りのものを求める基準が厳しくて、それ以外のものに対する許容範囲が狭くなってきているように感じます。そんななか、外からの基準に素直に従いたくない気持ちが増してきていることも、私の気持ちが現代詩に向かう理由のひとつです。
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