05/14 09:48
深水遊脚
黙読の歴史それ自体が浅いみたいですね。ネットでさっと見た感じでは、信頼できる情報はなさそうですが。
Wikipediaの「読書」という項目をみましたが、検証可能性に疑義か出ていました。考えてみれば何百年も前に人が書物を声に出して読んでいたか黙って読んでいたかなんてわかりっこないです。まあでも声に出さなければ始まらないという時代は確かにあって、弁論術なんていうものも発達したこともあって、そこではリズムも追求されていたのでしょう。
知的な営みのなかでさえ感動が追求されたのでは。弁論術でのレトリックはオーディエンスを感動させるために発達したものでもあったのではないか、と考えます。韻を踏むということも当然行われていたでしょう。古代ギリシャのことを念頭において今これを書いているので、実際にどうだったかは知るよしもありません。プラトンが実在の対話を忠実に再現したわけではないし、そのプラトンの著作も現代日本語訳でしか知らないし。でも万葉集におさめられた長歌なんかが読まれたのと同じような営みが哲学の生まれる現場で起きていたかもしれないです。
妄想終わり。歴史はある程度検証可能ですが、人がどのように言葉を発し、どのように感じでいたかまでは本当には分からない。手がかりはあったとしても。