2012 01/31 22:35
N.K.
寒中お見舞い申し上げます。
いつもロムって勉強させていただいております。
ちょっと前には、RTで中川さんに石原吉郎について
教えていただきました。ありがとうございました。
おかげさまで、柴崎聡著の本を買い込んで読んでいます。
話の流れを絶ち切ってしまうのは、意図とするところ
ではありませんので、遊びをせんとや生まれけんの話に
コメントいたします。
小西甚一(なんか辞書の編者で名前を見た覚えが・・・。)
先生の解釈、勉強になりました。
他方で、自分の身近なところで梁塵秘抄が引用されたのを
視たことがあり、それは確か、子の親を対象として子どもた
ちに「よく遊び、よく学べ」を勧める文脈でだったように思
います。
翻って、悔恨を歌っていたとする解釈は、ある意味自分には
衝撃でした。無邪気な子どもを眼前にしたからこそ、我が身を
痛切に振り返ることになったと読めます。
また、無心に「遊んでいる子ども」や「遊び」そのものに引
き寄せられているようにも読めます。おそらく「良く遊び、良
く学べ」の文脈での引用はこちらだったのかなと思います。
遊びは人間の本質的な部分かどうか、についてはロジェ=カ
イヨワ(だったか)が人類学の観点から述べていたかもしれま
せん。自分が馴染んでいる考え方としては、特に子どもの遊び
は大人になった時の社会的に意味のある行動を取るために大変
大切だという言説があります。
そう言えば、自分の子どもについて、妻と「子どもは遊びが
しごとだから・・・。」いう会話をする機会が少なからずあり
ました。(そっとしておいて気が済むまで(大人には無意味に
みえるけど)熱中していることをやらせてやろうよ、といった
文脈です。)
思いつくままの発言ですので、もし、お気に召さないところ
がありましたら、みなさま、御寛恕下さい。