2008 07/24 10:55
角田寿星
ポエムロゼッタの角田です。松岡さん、どうもありがとうございました。
お礼のかわりというわけではないんですが、ぼくもレビューをひとつ。
『駅員観察日記2』松岡宮。
質量ともに、とにかく膨大です。100篇をこえる、駅員に関する詩篇集。
ホームで改札で働く駅係員、車内での運転士に車掌、さらにはKOバスの運転手…彼らは冷徹な顔で過酷なダイヤを管理する存在であり、巨大になって客車を乗客を文字どおり支える存在であり、何かのトラブルには光速のはやさで駆けつける存在であり、乗客たちとはまったく違った何かを見据える存在であり、時にはストレスでその身をすり減らしていく存在であり…
と、駅員は変幻自在です。駅員の制服や体型、表情に仕草、さらには駅の状況や時間帯によって、駅員がその「かたち」を変えていくのは、いわば当然のことでして、駅員は刻々と姿かたちを変えながら駅員のすべての仕事をこなしていくのです。この詩集では、駅員への憧れと愛と「駅員さんはカッコいい」を縦糸に、克明に駅員さんの観察を綴ります。
面白いのは、作者にとって駅員というのは、その存在自体が「完全体」なんですね。体調不良や経験の不足、仕事の疲れやストレスや、あるいは何かのトラブルの際には、彼らは素早く超立体マスクを被り、鋼鉄の背中を持ち、あるいは背中から導線を飛び出させたりして、そうして粛々と滞りなく鉄道を運営していくのです。お客さまにはそんな気配を微塵とも感じさせないようにしながら。「それがプロというものだろう」と作者も言及しています。時には手袋を外して、車掌の仮面を少し取り外したりして、でも手袋をした瞬間、また車掌の顔に戻る。
憧れとか愛とか書きましたが、そんな言葉では済まされない膨大な何かを感じます。脳ミソで考えるだけじゃ、書けない何か。作者の本能に駅員さんが深く食い込んでいるさまを、ひしひしと感じました。
それでは、いくつかの詩篇の感想を。
・あさぴ新聞「声」欄御中
とある駅員さん美談、のねつ造。最近、駅員への暴力事件とか痛ましいニュースも多々報じられており、こうしたねつ造で、駅員さんの素晴しさを徹底周知させてほしいものです。でもあさぴ新聞も近頃は頑張ってまして、ねつ造記事は紙面の7割程度にとどめているようですよ。
・快速、急行、小田急線
小田急線内でのG痢とのソーゼツな闘い、そして勝利。それはとりもなおさず小田急車掌の存在の賜物であり、車掌さんへの素朴な感謝の念が、福音となって客車内に芳香となって立ちのぼります。
・友人、失禁、あっとステイション!
言葉を失った…素晴しい。「JRの駅で嘔吐失禁し駅員に介抱された」という友人からのメール。それに対する、すべてを投げ出さんばかりの、一途な羨望。それはやがて美しい嘔吐失禁への憧れになり、嘔吐失禁にまみれた駅員さんとの愛へと昇華する…アイス食べながらそんなこと考えてるんですね。駅でアイス10個食べなはれ。いい感じで具合悪くなるでしょう。
・発光する車掌
12月、師走の夜。発車の瞬間、高まる緊張感とともに、発光する車掌。冬の駅の、張りつめた冷たさと光の美しさが、心地よい。
・TX! TX! TX!
筑波エクスプレスのレビューもしっかりやってます。さすが。
ワンマン列車だそうですが、それなりに楽しんでるとこも、さすがです。
・AERA「排便」車掌の記事に捧ぐ
ありましたねえ、そんな事件が。ぼくは、人間をそこまで追いつめる社会構造にかるい嫌悪を感じましたけど…よく頑張った。車掌にはそんな言葉を贈りたいです。
この詩集には「当然」載るべき作品である、と思っていました。ありがとうございます。
・山に抱かれる小田急の車掌
これも美しい。ぼくは小田急は、箱根のロマンスカーに乗ったっきりですが、たしかに小田原あたりから視界がサッと開けますよね。小田急への、小田急車掌への、美しい賛歌です。
・駅員観察日記、西へ
わーいキングジョーだあ(意味不明)。でもあれは神戸なんですよね(もっと意味不明)。
大阪環状線ですかね。記憶に刻み付けるようなルポルタージュ。目の前でかがみ込んでメモをとる、若い車掌との密やかな交流。しかも、左利きでしたか!そうでしたか!南海のルポもよかったな。
少し前ですが、ぼくの息子のたあくんは、降車のあとしばらくホームに留まり、列車が通り過ぎるのを待って「電車バイバイ」をします。かなりの確率で、車掌さんが窓から顔を出して、笑顔で手を振ってくれます。
残念ながら、わが家のホームグラウンド京成線は、やや愛想が悪いです。東葉高速線はほぼ100%笑顔…運賃が高いせいかしらん。総じて若い車掌さんの方が、手を振って応えてくれますね。