生贄合評スレ[347]
2016 01/15 08:13
高橋良幸

タイトル:麦藁帽子
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=305915

故人を偲ぶ気持ちを傍らにおいて推敲するのは難しそうですよね。そういう点で、このような詩は作者にとって挑戦である部分が大きいと思います。

<1>
■1連目
「眼鏡が光を取り込む」「反射をした淡い粒子」という言葉の連なりに、うまく馴染めませんでした。

* 父の眼鏡が初夏の光を天井に映して
* 「帰ってきたよ。」と呼びかけたある日の午前中。

のようにシンプルに書いたほうが良いのではないでしょうか。その方が、光がすっと差すイメージに近いと思うからです。また、「光を取り込む」ということはおそらくレンズを通しているのであって、その光は粒子というほど小さなものでしょうか。「淡い楕円」などの方が良いのではないですか。

■3連目
2連目までで読者が初夏の情景を掴みかけたころに、3連目が「うっすらと積もる雪の中」で始まるのはすこし読者を混乱させてしまうと思います。

* 父が遠くへと逝ったあの日は
* うっすらと雪が積もっていたのに
* いま、母と娘はうっすら汗をかいている。

などのように、まず「あの日」と言うなどして、雪が今は降っていないことを示したほうが良いと思います。
逆に、「うっすらと積もる雪の中」で始めるのであれば、1、2連目は父が亡くなっていることを書かずにおいた方が、その混乱の効果が生きてくるかもしれません。

■4連目
細かい部分をあげつらっているようですが続けます。「猫たち」「花達」の漢字とひらがなの混在は余計なノイズとなりそうです。どちらかに統一するか、「猫たち」「草花」のように、「たち」が繰り返されないようにした方が良いのではないでしょうか。
また、「花達が(中略)花びらを差し出す」という表現も馴染めませんでした。花の構成要素として花、茎、葉、根があったときに「花」の部分はよく「顔」に形容される気がしますが、「差し出す」という表現は「手」に形容されているようで、若干グロテスクな印象を持ちました。差し出す、が適切な表現なのでしょうか。

■5連目
「(午後からは、雨が降った。)」を括弧付きにする必要があるでしょうか。雨もまた気遣いなのではないのでしょうか。だからこそ、後の連で水たまりの中にさえ父は姿をあらわすのだと思います。その気遣いは「時折吹く涼しい風」と同列なのですから、括弧の中に入れる必要は無いと思います。(次の連がまだ日差しのある風景を描写しているのであれば括弧付きにする理由はあると思いますが。)

■8連目
「慎ましい営みの中(改行)懸命に生きようとする」は、言葉の順序が逆ではないですか?言葉を補うと分かりやすいです。

* (母と娘の)慎ましい営みの中
* 懸命に生きようとする妻と娘たちを見守りながら。

これだとまどろっこしいですよね。

* 懸命に生きようとする妻と娘の
* 慎ましい生活を見守りながら。

この方が連なりが自然だと思います。もし主語が草木ならば、

* 家々の草木や花の慎ましい営みの中

と、「の」を補った方が良いと思いますが、この前の連で花達は「空へ空へと伸びて」ゆき、慎ましくは思えないので、慎ましい営みの主語は母娘だと思いました。それとも「家々」と書かれているので、慎ましい営みの主語は隣近所の人々、でしょうか。

また、妻と母も統一したほうが良いのではないでしょうか。「母」と呼ぶ娘の目線と、「妻」と呼ぶ父の目線が混じってしまい、すっきりしない印象です。父が汗をぬぐったのは母だったのに、見守るのは妻なんですね。書き分けるのも面白いと思いますが、その場合はなぜ書き分けてあるのか、違いを明示(または暗示)すべきだと思います。

<2>
構成の面から言えば、1連目の眼鏡のくだりが置き去りにされているのがもったいないと思いました。言葉に引っかかったことを別にすればいい導入だと思うので。
例えば1連目と同じ形容で、詩の中盤において

* 朝露が光を取り込んで
* 花に反射した淡い粒子が
* 「庭の手入れをありがとう。」と呼びかける

のようなことが書けると思います(これは分かりやすく元の文体にそのまま当てはめて書いているのであって、そのまま書いたのではいけないとは思います)。そうすれば父が花を愛でるくだりも書けたはずです。そこまでせずとも、父が現れる現象を光を主軸に置くだけでも(風も雨も、光の作用として書く)、眼鏡が1連目にある意味が増すし、るるりらさんが書いた「お父さまの近景の視線」を詩の中を通して感じさせることができそうだと思いました。
さらにもっと言えば、なぜ眼鏡なのでしょう。麦藁帽子でもよかったはずです。

* 父の麦藁帽子が初夏の光を浴びて
* 壁に透かされた淡い光の粒子が
* 「帰ってきたよ。」と呼びかけた日の午前中
* あの粒はきっとあの夏の光だ、
* そしてこの粒は来るべきこの夏の光。

などとすれば、光の粒子、という言葉も生きてくるでしょう。タイトルとの関連も強くなります。さらにいいことは、父が庭いじりをしていた事実が1連目から読者に暗示されることです。元の構成のままでは、最終連に行くまでわかりません。父のことを知っている人なら良いでしょうが、父のことを知らない人にこの詩を読ませるのであればこのような暗示をしておいても良いのではないでしょうか。梓さんが実際に見たのは眼鏡だったのかもしれませんが、見えない事象が詩に書いてあるのと同様、詩に書くのは肉眼で見たものでなくても良いのではないでしょうか。
以上です。
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