詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換(backup)[447]
2010 11/22 15:51
深水遊脚

 味の表現について考えるとき真っ先に浮かぶのが小泉武夫氏のコラムです。日経新聞の火曜日の夕刊に掲載されている「食あれば楽あり」というコラムで、調べてみると1994年から連載されているみたいです。先の備忘録ではオノマトペの例としてあげていましたが、読んでみるとどうもそれだけではない気がします。

 10月12日のものが切り抜いてあったので、それを素材に軽く見てみます。「オコゼの空揚げ あらサクサク 頭も骨も」という題で、行きつけの鮨屋がとっておいてくれたオコゼの粗を空揚げにして食べるまでをこれでもかというくらいに美味そうに書いています(オコゼの背びれの棘には確か毒がありますが、そこは食品文化論の専門家とその行きつけの鮨屋が食材を扱うので事故は起こらないのでしょう)。

 美味そうな部分を選んで引用してみます。

「ところで、骨付き魚を丸揚げにしたり、骨の硬い魚を揚げたりするときには、コツがある。最初170℃で揚げはじめ、そのまま160℃まで落として骨までじっくりと火を通し、柔らかくする。しかし、このままで終わるとベトついてしまうので、一度油から引き上げ、油の温度を今度は180℃にして再び揚げる(二度揚げ)。こうすると水分が油ではじき飛ばされ、カラッと揚げることができるのである。」

これは作る過程ですが、これがあることによって後の味わいの表現が引き立ってきます。

「先ず、いきなり頭部をガリガリとかぶりつくようにして食べた。ひと口で頭の3分の1ぐらいは口の中に入ってきたので、それを噛みはじめるとサクサクとして、鼻孔から空揚げ特有の香ばしい匂いが抜けてきた。そしてさらに噛み続けて行くと、口の中にオコゼの皮のゼラチン質がトロトロと溶け出してきて、骨に付いていた肉片からは、甘くて上品なうま味がチュルチュルと湧き出してきた。それを、揚げた油のペナペナとしたコクと少しの塩味が囃すものだから、さらに美味感が増幅されるのであった。
 そして、カリカリとした骨っぽさは、そのうちにほとんど無くなって、今度は全体が分泌し続ける唾液と混ざり合って、ペトペトになったのでそれをゴクリンコとのみ下した。ここでお湯割りの焼酎をコピリンコと飲むと、焼酎は口に残っていた空揚げの油の上をスルスルと滑るようにして降りて行き、胃袋にフワッと着いて、そこが熱くなった。」

 オノマトペ(擬声語)の多用もそうですが、プロセスが非常に細分化されて描かれているのがわかります。刻々と変わる食べ物の歯ごたえや舌触りを見事に書き分けています。毎週毎週、この方の語彙の豊富さは本当に感心しています。いや、感心するなんてそんな冷静に読んではいません。ヨダレを流しています。
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