2008 11/12 19:42
小池房枝
みたびの小池です。同一IDからの連続書き込みは3回までというシステム上の制限に則ってあとがありません。よかったな、引っ込んでろという空耳が空耳であることを祈りつつ、続き。
文法のアドバイスをくださった方にはまずお礼を言って、それから私は考えました。考えて分かったことは、私には分からないということでした。分からないのに直せないです。分からないのに直すということは相手のいうことを鵜呑みに信じるということで、信じるといえば聞こえはいいですけど自分の書いた何かをどうするかを相手に丸投げにお任せにすることは出来ません。例えば極端な例ですが、何人かの人から違うアドバイスを二つ以上もらってしまったらどうするのか。かわりに話し合ってもらうのか。変ですよね。どうして変えたの?と聞かれたらひとに言われたからと言うのか。教えてもらったとおりにぽんぽん訂正しながらいつまでも自分では覚えないでいるのか。そのうちわかるようになるとしてもそれまで相手を添削係りにしていていいのか。違いますよね。
「乗りし船」「乗りたる船」「乗れる船」、それぞれの船がどう違うのか何度も考えてみて、あ、船という言葉だったのですその投稿。考えてみてなんとなくはイメージできたもののなんとなくでしかなくて結局わたしは「乗りし船」をただの船、「木の船」に直しました。内容にとってはそれで十分だったのです。むしろ木という言葉のほうが相応しいほどで。
いろいろな意味で、このできごとは私にとってものすごくいい勉強になりました。大切なことを気付かせてくれました。古文には文法があるのでした。知りませんでした。考えてみれば当たり前のことなのに考えてみたことがありませんでした。いつか自由自在に古文を書けるようになりたいと実は今でも全然思ってないのですが(多分無理。)いつかもっと書かれたものが訳なしでも読めるようになりたいです。詠めるじゃなくて読める、ですね。読めるようになりたいとだけは切に願うようになりました。そのために文法書をひもといてみたりはしないわけですけれども。
以上、フォーラム半万人の中にはこんな人間もおりますという拙文でした。普段めったに使わない「私」「私」をたくさん使って緊張しました。読んでくださった方も(もしいらっしゃるなら)お疲れ様でした。有り難うございました。おそろしいことにフォーラムに来るまでわたしはこれを知らなかった、という経験談等他の方からも伺えたらなぁと思います。あと、みなさん、古文は得意でしたか。出来れば続きの雑談もあるのでどなたかレスはさんでくださったら幸いです。