批評しましょ[58]
08/09 17:09
佐々宝砂

>>57
社交辞令抜きで言います。あんまり面白い詩ではないと思います。この詩が自由詩として投稿されていたら、私はポイントを入れません。強いて言うなら、谷川シュン太郎(あえてこう表記しておきます)の台詞部分は面白いです。ええ、「おもしろい」と叫んでいるところは気に入りました。でも「ミツバチもどきどもの運ぶ養分を食らって」という部分はつまんないです。なぜここでまた「もどき」が出てくるのでしょうか。一人の印税生活者としての谷川シュン太郎は、本を買った読者やらテレビ出演を依頼したテレビ局やらからお金(養分)を頂いて暮らしてるのであって、ほっといても養分を運んでくるようなミツバチに養われているわけではありません。ミツバチまたはミツバチもどきという比喩は的確な比喩ではないと思います。谷川シュン太郎最後の台詞は、面白いと言えば面白いけど、この台詞、一番絞りさんの自己弁護だなと気付いてしまうと面白く感じられません。

私憤として書かれたにしては、誰に憤っているのかこれまでのレスを読んでも不明です。ま、実言えば名前が出てる部分はわかりますけど、私憤を抱くほどの被害を一番絞りさんが受けているかどうか? いえ、こういう詩に登場させられた面々の方こそ憤ってしかるべきなのでは? しかし私憤を抱くかどうかは個人の性格によりますので、私はどうこう言う立場にありません。「マンドリンのスネカジリ」という言葉から私が連想するのは「谷川俊太郎」ではなく、また谷川を擁護している掲示板の常連でもなく、むしろ「萩原朔太郎」だったりします。詩人は数おりますけれども、萩原朔太郎ほど「マンドリンのスネカジリ」という言葉が似合う人はおりますまい。

私憤でブンガクを書くタイプというのは日本のブンガク史上まれではない、と思います。たとえば佐藤春夫など私憤のカタマリのような人だし、こないだ亡くなった中島らもが某作家をめちゃくちゃ嫌っていたのも有名な話。要は、私憤であろうと義憤であろうと悪口雑言罵詈誹謗であろうと、面白ければいいのではないかと私には思われます。しかし悪口雑言罵詈誹謗でひとさまを喜ばせるのは非常に困難ですし、一番絞りさんの詩作>>57を読む限りでは、ひとさまを喜ばせる精神を拒んでいるようにも思えます。なにしろ「世間に媚びる快楽」を批判なさっていますから。では一番絞りさんは、こうして私憤を詩にすることによっていったい何をしたいのでしょうか。ご自分を表現したいのでしょうか。私憤をあからさまにしてすっきりしたいのでしょうか。この掲示板の読者を不快な気分にさせることで、溜飲を下げようというのでしょうか。そのあたりが私にはわかりかねます。あるいは私の読解力が足りないのかもしれません。

どうでもいい話をつけくわえておきます。あまりにどうでもいいことですけど。私は田舎の公立高校の出で、それも出席日数がやばかったので、センセーに頭を下げ学期末にレポートを提出し追試をいくつか受けた上で、どーにかこーにか卒業したのです。小学校高学年〜中学校二年までは不登校でほとんど学校に行ってません。さらに無関係なことを言えば私の夫は中卒です。谷川俊太郎は確か高卒でした。学歴や知識に関するコンプレックスは、私も充分にもちあわせております。かつては私もそうしたコンプレックスをさらけ出していたものです。あとで自分でみても格好いいものではないと気付いたので、そうしたものを出さぬよう気をつけることにしたのですが、今も気を抜くと劣等感丸出しになります。ああ気を付けねばと自戒するワタクシです。
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