2004 08/20 12:57
一番絞り
>いんや、そういう「地に足をつける」風なリアリティならいらない。
この「足」という作品の場合、どこかにリアリティを求めなければ、男は
「足を洗うロボット」ということになってしまいますよ。「愛を証す」ロボット。
つまり、わざわざ詩の形式を借りなくても、形式論理でいいことになる。
恋人が相手の「足を洗う」シーンが登場すれば「愛の証」と読み込んでくれる人たちが
いるのだから。つまり、
女Aと男B、二ヶ月ぶりのセックスをする。
女Aと男B、セックスのあと休息する。
女Aと男B、休息のあとお風呂に入る。
男B、女の足を洗う。
女Aと男B、お風呂のあと軽い夕食をとる。
女Aと男B、無言で微笑む。
[スローガン]
この先を
私はあなたと歩いてゆく
この足で
これでいいことになる。
登場人物に「哲学的ゾンビ」を使っているからとうぜん「飛躍」はない。
しかし、ここまで徹底的に形式論理的に書けばかえって面白かったかもしれない。