2004 08/20 12:40
山内緋呂子
>140静謐や抑制を見せるにしても、作者独特のものを書かれる方の詩はあるので
どういうのがそれなのか、わかりにくいですよね。今、浮かぶ例として、そういったものですごいなあと思うのは、
horohoroさん「夏の水族館」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=16648
sekitaさん、「車窓」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=9263
あまり的確な引用ではないかもしれませんが、淡々と描写でも、オリジナリティがあるというか。あまりここでも言うと、こちらの作品の批評になってしまい、何と申したらよいかわからなくてすみません。
石畑さんの他の作品
「上海された」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11699
これはすばらしいと思いますよ。「上海される」という即ゴルさんからの意味つけにくいお題だから、というわけではなく、ありえない設定だからそこに「言葉の跳躍」がある、と言ってるのでもなく、5連、別々のお話なのに、つながっているよう。
ちょっと今会社の昼休みで書いていて、つたなくてすみません。で、考えすぎて、家に帰ってからだと携帯からになるので、多分疲れて寝ます。ちょっとおやすみ。2日ぐらい。もう脳みそのアッパーカット。部位によるカットアップ。おいしいのはどこだ?
ちょっともう体こわしたりとか、いえなくなるかもしれないので、今言っておきますが、石畑さんは、よく作品の中に「セックス」「自慰行為」「視姦」「ヤッタヤラナイ」とかかれますが、私も性的なことを、自分の文章で書いていて、それを、ふくらませたりとか、笑いに変えたりとか、で、性的なことはありふれていて、もっとふくらますことで、楽しいことだったり、残酷だったり、そういうように読めれば、なんて考えていました。最初にかいた、「もっとたくさんおききしたい」という中の一番おききしたかったのはここであって、例えば「視姦」された女性が、その「文字」そのままを見た場合に、思い出して傷ついたり、もう考えるのをやめたりするのでは?と。それで、逆に、「文字そのまま」を出すのは、逆に女性を辱める危険がないですか?なんておききしたかったです。