2009 07/07 01:12
しろう
おーけー。ケータイからではないけれどここで。
「誰も傷つけたくはない」という意志は前提に置いているのです。
人に重たいものを持たせる覚悟で臨んでいるのは、あの会話を覗いていたのならばご理解頂けるはず。(もしそれをご覧なっていてもご理解頂けないのであれば、僕はただの道化師であると、判断して頂いて構いません)。僕は覚悟はしています。どんな批難に遭うことも。
それでも、僕は「誰も傷つけたくはない」を前提にしたいのです。欺瞞であるかもしれない。偽善であるかもしれない。実際僕は、手段として誰かを傷つけてしまう方法を用いているかもしれない。いやおそらくそうだろう。そう判断されるのが妥当だろう。
でも、「誰も傷つけたくはない」という理想は別に持ち続けてありたいのです。
「たとえ今は誰にどんな思いをさせようと」という前提ではないのです。仮に理解されなくとも、それでも。つまり最初からそれを分かってもらおうなんて思っていないんです。僕の勝手な思い上がりなんです。
僕は確かに目的を遂行すると思います。
でもその基礎にあるのは「目的を遂行するためには犠牲を厭わない」ではなく「誰も傷つけることなく目的を遂行したい」なのです。
キレイ事です。でもキレイ事を鼻で笑えるニンゲンだったなら、僕は…
僕の力で可能ならば(可能であるという仮定ならば)とっくの昔に終わらせています。
sage
追記。
「追記」と述べつつ、すべて書き換えられているのであれば、公の場で積み上げていくのは不可能です。何かあれば私信を。
追記。09.08.19
僕は誰に読んでもらえるか分からなくても詩を書くだろう。
誰かに理解されるかどうか分からなくても詩を書くだろう。
「誰」という相手を選んだりはしないだろう。
これは「詩」をほかの言葉に置き換えてみても当てはまると思う。