ケータイ優先スレ2[4]
2007 04/17 18:50
小池房枝

sage 大岡信の「私の万葉集 五」は巻十八から巻二十について。大伴家持が歌わなくなっていった/歌えなくなっていった経緯について触れている。記録を見る限り、歌集最後尾の「新しき年の初めの初春の」の歌が四十二歳。それから亡くなるまでの二十六年間、公的な場所においてのおつきあい的な歌さえ残ってはいないのだという。家持には広く歌に対する蒐集癖があってそれ故の万葉集でもあるので、逆に彼が残そうとしなかったものは残らなかったのかもしれない。歌っておいて残さないというのもすごいが。それともあんなにも歌が日用のものだった時代にほんとうに歌をやめてしまっていたのだろうか。何をして過ごしていたのだろう。歌えなくなった/歌わなくなった彼は。
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