ニューススレ[803]
2004 11/15 14:58
一番絞り

>不注意について言及されることは仕方がない。

いや、わたしはそうは思わないな。
不注意なんて問題を、だれか赤の他人が云々することではないと思いますよ。
もちろん、故人が生きておれば自ら反省はするでしょうが
アホ小泉が万全の構えをしてイラクに行ったって
目をしょぼつかせた小心者の石原チンタロウが護衛を山ほどつけてイラクへ行ったって
必ず間違いはあるし、失敗があれば「不注意」だったと指摘される。
成功すれば、何もいわれない。それだけのことで、香田さんがほんとうに「不注意」だったかどうか
赤の他人にはまったくわからない話で
仮に「不注意」だったとしても、それを咎める資格なんか本人と家族、恋人、近親者以外だれにもないと思いますね。

それより建築家の卵だった香田さんが、「アメリカはビルが瓦礫になったが、アフガンやイラクは
瓦礫が砂になった」といわれる街へ行って何を見、何を考えたかを聞きたかったな。

わたしも阪神大震災のときは無謀にも周囲の制止をふりきって大阪から神戸まで歩いた。
甲子園口まではJRが通っていたがそれから先は歩きだった。
甲子園口に列車がとまると、まず唖然としたのは駅前のビルが、サイコロを転がしたように見事にお尻を見せて
コロンと転がっていたことだ。これにはびっくりした。
甲子園口で降りて国道2号線に出ると、これまた度肝を抜かれた。
はるか見渡す限りの彼方まで、西から東まですべての距離を緊急車両(消防車、救急車、支援物資運搬車など)が埋め尽くし
それらが一歩も進めず、渋滞のために止まったまま全車両が空のすべてを満たすかのごとくサイレンを鳴らしつづけ、
どこまでも延々と赤い点滅をつづけ連なっていた。
道の両側はほぼ四十五度に傾斜したビルがいつ崩れるかもしれない状態で、微震も続くなか、
それでも神戸を目指して歩いた。
日本のマスコミはヘリや水上艇を使って直接、神戸に入ったからこの地獄の惨状は知らないだろう。
唯一、外国のマスコミクルーだけが、肩に重いカメラを担ぎ、神戸まで歩いて撮影していた。
神戸の方からは何千、何万という人たちが大阪めざして引き揚げてきていた。そのひとたちとすれ違いながら
一路、神戸をめざしたのだが、さすがに三宮に着くころには、神戸に向かう者はわたしひとりになっていた。
三宮の惨上は口にするのもはばかるばかりのものだった。
商店街は無人。路上も無人。どこもかも死者の街のように無人で、こわれたショーウインドウからは
貴金属がそのまま放置されていた。
自動販売機はもちろんすべてストップ。不思議なことに、ただ一軒だけ、酒屋が立ち飲みカウンターを開いていた。
すぐに入ってビールを頼むと、もうない、という。
酒ならあるというので飲む。見渡すと、七、八人の男性が静かに飲んでいた。どこにでもある立ち飲み酒屋のカウンターと変わらない。
しかし会話に耳を澄ますと
「ぼくとこは娘と下の孫が死にました」
「ああ。わたしは家内ですわ」
そんな会話を静かに交わしている。これはいけないとすぐに出た。
足を引きずりながら神戸の中心へ真夜中の闇を歩いた。

こんなことを翌日、車で大阪に戻り、知人に話していると脇からあるひとに
「何でいったんや。ああ、そうか。野次馬か」と罵倒された。
テレビや新聞は、では野次馬ではないというのか? それをみているお前は?
とわたしは反論し、
「何で行った」と尋ねずに「何を見、何を考えたか」と尋ねろ、と罵倒してやった。

わたしも下手をすれば香田さんと同じように不注意にも怪我をしたかもしれない。
しかし、危険をおしてこの目で震災を見たことはいくらかの糧になっている。
テレビや新聞記事の映像と、現実はまるで違うよ、やはり。
(吉本隆明は「現場にいなくても第二者」なんてノー天気なことをぼやいていたが
やはり現場を見ないから、この老人ボケ批評家は最近、間違いをしでかすことばかりなのだと思う。

わたしは香田さん、ほんとうに偉かった.
心底そう思う。
スレッドへ