ニューススレ[727]
2004 10/12 21:39
一番絞り

2004年アテネパラリンピック競技大会が終了した。
いまさらながら、もっとマニアックに、真剣に、かれら・かのじょらの競技を観戦しておけばよかったと悔やんでいる。
オリンピクの刺身のツマみたいな印象をもって斜に構えて、かの競技を眺めていた自分をちょっとなさけなく思っている。


一昨日、隣家の年老いた寡婦から、わざわざわたしの出先に電話連絡があった。
「野良猫たちが二匹死にました」
口調は平坦だったが、わたしを責めていることは明らかだった。
裏の野原からわたしの家に入ってきて寝室や居間の布団、座布団の上にな何故かひんぱんに糞をしてゆく。
それもなんとも困ったことに消化不良の液状の糞便を。
それから蚤も大量にばらまいてゆく。
とうとうたまりかねて隣の孤独なおばあちゃんに「エサをやらないで」とお願いした。
エサをやるから野良猫たちが寄ってくる。可哀相だけど、もうかなり大きくなったし
そろそろ自立してもいいころだと説いた。おばあちゃんは不承不承従ってくれた。
「買っておいたエサがなくなったらもうやらないから」
それから二週間ほどもしないうちに二匹がガリガリに痩せて死んでいたという。
「それは奥さんがエサをやらなくなったからですか」(ということはわたしがエサをやらないでくれと
頼んだからですか?)」」
おばあちゃんは遠慮せずに「ええ」とはっきりいう。これにはわたしもたじろいだ。
要するにあなたのせいで子猫たちが死にましたよ、といってきているのだ。
ちょっとだけ心が痛んだけれど、だらしない野良猫たちだなあという思いも湧いた。
おばあちゃんは親猫から子猫たちを頼まれていたのだと力説した。
「あの仔たちの母猫がね、死ぬ前の日に三匹の子どもを勝手口に連れて来て、じーっと長い間わたしの顔みつめてたの」
「それは、この仔たちを頼むということですか」
「そう。わたしはね、親猫から見込まれて、わたしも引き受けたのよ」
約束があり、責任があったのよ、と隣家の孤独なおばあちゃんは言った。
とにかくわたしには生き物に対して非常に冷淡な、やさしくないところがある。
また、逆にやさしすぎるところもある。
今回はその、やさしくない部分が子猫を殺してしまった。
かつては、やさしすぎるところが人をめちゃくちゃにしてしまう原因になったこともある。
だから、わたしがさっさと消えて、死んでしまえば何事もいちばんスッキリするのだが...それはあまり
人にいったことはないけれど、このさいおばあちゃんにいっておこうかと考えていると
おばあちゃんが続けていった。
「でも、一番チビ助で、臆病だった仔が、一匹だけ生き残ってましてん」
「あ...」
わたしは、あたまに電灯が点いたみたい、にぱっと気分が明るくなった。
「そうですか、ああ、そうなんですか」
何かちょっとだけ責任逃れが出来たみたいでホッとした。
「今、その仔にエサをやってます。ガリガリのミイラみたいになってましたけど、ちょっと元気になってます。
お宅の裏庭から階段上がって、二階のベランダ越えてわたしとこのべランダに来るようになってますけど、
よろしいですね」
「ええ、どんどんやってください。家の中に糞をしても蚤をばらまいてもかまいませんから」
おばあちゃんもホッとしたようだった。
「それにしても不思議なもんやわね。一番発育が悪くて要領の悪かった仔が真っ先に死ぬかと思っていたら
最後まで生きてました」
「そうですね、不思議、ですね」
ひ弱なチビの生命力に感謝だ。お陰ですくわれた。
わたしは先日のテレビで紹介されていたパラリンピックの弱視の女の子のことを思い出していた。
弱視が原因で盲学校に入り、何故か休校気味で暗く沈んでいた子が、バレーボールの中に鈴の入った
ボールへ研ぎ澄ました聴覚だけでブロックに挑む競技と出会い、すばらしい才能を発揮する。
いまやその分野では世界一流の選手になって、表情も生き生きと一変した。
障害の持つ人に命を与えたスポーツとそれによってたくましく育った彼女に
ひがんでものを見るくせのあるわたしが、めずらしく何年かぶりに胸がきゅんとなった。


言うことにこと欠いて何が「オリンピックは、きれいな肉体を神の前で披露する神聖な祭りだった。」だ。


 おお、耐えがたき人間の条件よ。
 ひとつの法則の下に生まれながら、他の法則に縛られて、
 虚しく生まれながら、虚しさを禁じられ、
 病むべく創られながら、健やかにと命ぜられて、かくも相反する法則によるとせば
 自然の意味とは、そも何か。
            フルク グレヴィル

心身に障害のあるひとは「ただ生きている人」なのではない。
外からそのように見えても「だれよりもよく生きている」人なのだということをわたしは感じている。
オリンピックのマラソンランナーだけが特別に血の吐くような努力をしているのではない。
だれもがマラソンランナーでもある。あの「元牧師」だってそうだ。
また、イチローはだれをも感動させるものではない。日本人だという同属意識がまずその感動のもとにあるのだろうに。
つまらない反論でなければおおいに話したいけれど、すくなくともたまねぎの皮一枚も向けていない
洞察でちゃんちゃらおかしいとあえて申し上げておこう。乗り合いバスの思想で、いったい何が切れると思っているのか?
9.11以降、すべての乗り合いバスの思想は無化されたってことがまだわからんか。てめえの足で考えろ!
わたしに直接不満をぶつけないで、
わたしという気に入らない人間の、気に入らない意見に星をつけた人にいちゃもんをつけるという
その下卑た行為、いつになったらやめるのか?
いつになったらそれがとても恥ずかしい行為であると知るのか?
この際、はっきりいっておく。ここでこのような恥知らずな行為をした方々には今後一切返答はしない。
ただひとこと「ああ、そうですか」。これを今後あなたがたの意見すべてへの返答とする。
また、このような嫌がらせがあればあるほど、わたしはわたしの自由な意見を変更したり沈黙したりすることは
金輪際ありえないということも宣言しておく。

出先のネットカフェより。
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