ニューススレ[700]
2004 10/04 18:09
一番絞り

これから一ヶ月ほど野暮用にて書き込みができないので、非礼かと思いますが
698に続いての長文投稿、お許しいただきます。

さて、じつはオリンピク男子マラソンに乱入した男のことをずっと考えていました。
世界中から非難・哄笑・罵倒の大合唱が湧き起こった出来事なわけだが、だれ一人、かの人を擁護する人はいなかった。
ふつうに考えればあのような「異常」な男の行為をかばうのは尋常の沙汰ではないだろう。
しかし、よく考えてみると、あの「元牧師」がそれほど悪いことをしたわけではないとわたしは思う。
いや、笑って結構ですよ。あまりに突飛なことをまた言い出しやがったと。
ただ、冷静にオリンピックというものがどういう性格のものかよく考えてみるのもよいではないか。

これは、四年に一度、各国国民の国家意識、国家への帰属意識をかき立てる大イベントでもある。
世界選手権とは違って、オリンピックの場合、選手は個人としてではなく国家を代表して闘う。
国家の成員として記録に挑む。
応援する各国国民は知らず知らずのうちに国家への帰属意識を高揚させられている。
国家意識というものが差別や戦争の原点にあると単純に考えるわたしのような者にとってオリンピックは忌むべき祭典だ。
そのカラクリは怪しからんと常々考えている。
個を国家に溶融させ、民族意識を先鋭化させ、われを忘れさせる。国家にとっては...どの国家にとっても
(独裁国家であれ、帝国であれ、共産主義国家であれ)文句のない好都合な祭典なのだ。
その国家帰属意識高揚祭典のクライマックスである男子オリンピックの最中に突然飛び出して競技を妨げるとは、
よく考えてみると、かの「元牧師」さんは、わたしにとっては大した人物であるとしか言いようがない。
拍手喝さいだ。

聞くところによるとこの「元牧師」さんは背中に全世界へアピールすることばを書いたゼッケンをつけていたという。
「世界はもうすぐ破滅する。人はこころして主イエスの再臨にそなえよ」とかなんとか。
西欧人にはキリスト教徒が多いと聞くが、この牧師のことばに耳を傾けるものはいなかったのか。
いずれにせよ、口先では国家の無化のために、とかいいながら、具体的事例に対応できない思想家が多い。

わたしは辺見庸の抵抗精神について批評めいた雑文を別のスレッドに書かせてもらったが
ほんとうをいうと
かれが「残虐非道な日本対やられっぱなしの朝鮮、中国」という構図でものをいうのがとてもいやだ。
個々の国家を一種の人格として扱っているふしがある。
国家というものを無化するどころか非常に個々の国家の特質を意識した姿勢がほのみえる。
ほんとうはそれでは全然だめなんだということがわかっていない。
戦前、日本に出稼ぎにきて数年前、釜ケ崎で亡くなった金さんという無名の朝鮮人の老人に慰安婦問題について
《どう思う?》 と非礼にも尋ねたことがある。明快な返答が返ってきた。
「死んだ赤子の年を数えてもしょうがない。立場が変われば国というのはどこの国でもそんなことをするものよ」。
これを在日五十年という朝鮮人の口からわたしはしかと聞いている。立場が変わればどこの国でもやりかねない、という
明快な国家観に立たねば、永遠の憎しみの繰り返しだ。
わたしはアメリカや中国やロシアの残虐を激しく憎むけれども、それは大国という意味に抽象化されている。
国家なんてものを、独特の性格をもった忌むべき国家と、いつもやられっぱなしのよい国家なんて図式でみていない。

ところであの「元牧師」を非難できる唯一の人物がいるとすれば走行を妨げられたブラジルの選手だろう。
ところが、不思議なことにというか、奇跡的なことに、この人が一番、気にしていないのだ。
報道によると「元牧師」からこのランナーに謝罪の申し込みがあったのを快く受けたという。
「なにも気にしておりませんから、いつでも謝罪をお受けします」
とテレビで明るく語っていた。
ほんとうはこのランナーさん、こころの中では国家意識なんか皆目なくて、ただ、マラソンを楽しんでいた
真にスポーツマンというにふさわしい稀なひとだったのかもしれない。
稀に見る人同士の奇妙な出会いだったとすれば、ま、なんと楽しいことであったか。
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