ニューススレ[544]
07/12 08:06
一番搾り

>543
この国というのは、見えない部分にはまったく理解の触手を伸ばそうとしない国でね、
そういう意味ではぼくもひとのことはいえないんだけど、
少しだけひとよりも、影の部分、置き去りにされた部分、離された遠い場所へ首を突っ込んで、
その影に自分を重ねてみようとする傾向は強いような気がする。

ぼくは孤児養護施設で幼い頃から育ち、中卒後、東京へ働きに出たわけだけど、
すぐに失業して、十七、八からホームレスのようなことまで体験するハメに
なった。
仕事はない。腹はすかす、寝るところも無い。で、深夜とぼとぼと都会をうろつき
山手線の線路脇にムシロを引いて寝たりね。あるいは、寒いので焚き火にあたろうと
して、金を要求されたこともあった。
そのうち学生運動みたいなことの延長でやっている過激派の仲間に入り派手に暴れて
逮捕され、栃木にある刑務所に投獄された。
ぼくは看守に反抗ばかりしていたから、ここでの二年間は懲罰ばかりだった。
特警隊という猛者の集団がどこの刑務所にもあって、看守に反抗すると飛んできて
暴行を受ける。
ぼくはなんどもリンチを受け、ときには柔道技で絞められて気絶し、気がついたら
医務所にいて、歯が舌に食い込んで穴があいていたこともある。
懲罰房では毎日、身体検査があり、裸になって肛門まで開いて見られる。
絶えられない屈辱の日々だった。
こういうことが日本の刑務所で平然と行われていることにだれも気がつかない。
だれも知らない。訴えても刑務所出の前科者の遠吠えだ。
ま、その後、こういうところにお世話になることはなかったが、ぼくが人権とか
権力の暴力とかいうときは
若い頃にこの身体で体験した、権力の圧倒的で、無慈悲で、有無をいわせぬ力の
そのおぞましい破壊力の強烈な記憶から発している。

あるとき、アフガンが「開放」された記念の日を衛星で放映しているテレビ中継を観ていて
あ! と唸ったことがある。
そこはアフガンのどこかのレストランで贅沢な食いものが並び、音楽が流れアメリカ人や富裕なアフガン人が
酒を酌み交わし、ダンスを踊って「開放」の喜びを爆発させているシーンだった。
そのとき、
レストランの寒さで凍りついたような曇りガラスに、どこからかとぼとぼと歩いてきた
おそらく戦災孤児であろう、アフガンの少年の顔が
まるで幽霊のようにぼ〜っと浮かび上がった。
少年は中の光景をみてなんという表情を浮かべていたことか! それをぼくはどうしても説明することができない。
驚愕はあった。それから飢え死にしそうな情けない表情。それから「何で?」という表情。それから
喉から手が出そうなほどそれらの食い物がほしいのに届かない絶望的な表情。
こういう顔を窓に映して「アフガン開放」を祝っているアメリカ人とアフガン富裕層の
姿をテレビは映して出していたのだった。

人権といものは、それも振り回すと弾圧だという。
昨夜来のギロンのなかでいわれたことだ。
一度だって人権が実際に弾圧されるとはどいうことか、想像してみたこともない幼稚なガキの観念的言辞だとはわかっている。
所詮、サロンの茶のみ話だ。
かといってサロンの茶飲み話がいけないのではない。
所詮、サロンの茶飲み話であるそのことを、権力に蹂躙され、弾圧を受けている人々の側に文学的想像力をのばして
自らの位置を確認すること、そこがとても大事だと思う。
思っている。
いまも血を流し、命を奪われているひとたちは世界中にいて、いまこの瞬間にも血を流し、飢え、
殺されている。
贅沢三昧に暮らすことはいいことだ。そして、そのような悲惨に常時思いをはせることは
だれにもできない。
だからこそ、人権、なんだそんな聞き飽きた概念なんかもう流行らないんだよ
人権を振り回すことも弾圧なんだよ、なんて、
観念に偏りすぎて想像力を欠如した
態度だけは用心してもらいたいもんだと願うな。
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