07/08 05:20
佐々宝砂
>>361の続きです。
※さんに対する反論と読んでもいいですけど、単に書きたかったので書きました。ニューススレにはふさわしくない、のかもしれません。でも最近気付いたのですが、私はものを書きながら考えるたちのようで、自分の思想をまとめるときには、どうしても書く必要があるのです。ここで書き始めたので、ここで続けたいと思います。前回は、人間社会というのはからみあったツタのような混沌、根はネイションだ、と書きました。その続きなんですが、思うところあって、ほぼ全部たとえで書きます(笑)。
カオスと化した(というよりもともとカオスである)人間社会において、葉や花にあたるのが、個人です(花は滅多にないのであとで書きます)。葉は、複数の根(ネイション)から栄養や水をもらって成長します。二枚の葉どうしのDNAを受け継いで新しい葉が生まれます。どの葉も、一枚として同じではありません。同一のDNAを持って生まれたクローン(自然発生クローンである一卵性双生児と、人為的クローンの双方を含む)であっても、根からもらう栄養によって違うものに育つからです。スマップの歌ではないけど、一人にひとつずつの葉は、どれもこれもOnly oneで、どれもこれも同程度に貴重です。ひいじいさんだかが清水次郎長の子分だったという私の遺伝子は、どうもあまり高貴とは思われませんが、他の誰かさんの遺伝子に較べて、私の方がより重要でない、ということはないんです。どの葉も、同一の栄養を返すわけではないからです。
葉は、植物の葉と違って移動します。移動にはいろいろ理由があります。ケンカしにゆくこともあれば、仲良くしにゆくこともあります。ツタは、移動するための道です。葉は、根からもらった栄養と水を自分で変換したり混ぜ合わせたりして、新しい栄養を作り、根に返します。根は栄養をためてだんだん太ります。ツタは栄養を運ぶ道でもあります。ところが問題があって、情報という栄養を運ぶ方法(言語)は、根によって違うのです。言語そのものも根の一種ですが、これは非常に特殊な根で、葉があるていど成長してしまうと、その根なしには生きられません。根の変更もむずかしいのです。でも葉は、複数の言語の根を使うこともできます(私には難しい)。複数の根を使える葉は、翻訳者とか通訳者とか呼ばれ、栄養を変換して伝えます。変換が入るのでどうしても元とは違うものになり、誤解も生じやすくなりますが、それでもなにがしか大切なものが伝わればいいと私は思います。まあ誤解が元でケンカになりさえしなければ。
言語という根は、本当に大事に大事にしないといけない根なのに、ある特定の根が、ある特定の言語の根を殺そうとすることがあります。ものすごくひどい話です。簡単に言うと、その根に通じるツタを通行禁止にしてしまうのです。言語の根がないと葉は絶対に葉らしく生きられないので、一枚でもその言語に頼る葉が生き残っている限り、どんなに通行禁止にしても言語の根に通じるツタは通行禁止になりません。切ろうとしてもなかなか切れません。でも時間をかければ切れます。その根に頼って生きる葉がすべて枯れれば、その言語への栄養の行き来が完全に途絶えるからです。
葉によってはへんてこなものを根に返します。ある特定の根や葉にとって猛毒にあたるようなものを返すこともあります。そういう毒のようなものを作ってしまった葉は、もちろんですが他の葉から怒られます。怒られるだけならまだよいのですが、「おまえは切ってしまったほうが根のためになる」と言われて切られたりします。それが死刑です。でも、「ある特定の根や葉にとっての猛毒」は、「他のある特定の根や葉にとっての良薬」になるかもしません。私が思うに、いかに猛毒を持つ葉であっても切らない方がよい。隔離して他に害を及ぼさないようにしておくのが賢明な措置だと思います。猛毒と良薬の判断は、きわめて困難なのです。というか同じものだったりします。今は有害でも、明日は有益かもしれません。今は有益でも、明日は有害かもしれません。つまりどんなに猛毒に見えても明日は有益、かもしれないので、厳重に封をしてとっとくと、後で役立つかもしれません。
ある特定の根が、ツタ全体やある特定の根や葉にとって猛毒にあたるようなものをためこむこともあります。そうするとツタ全体やある特定の根が、「あんな根は切ってしまったほうがためになる」と言って、その根やその根に近いツタを切ろうとします。しかし根は葉に較べて丈夫なうえ、その根から栄養をもらう葉が必死に自分の根を守ろうとするので、切るのは簡単ではありません。強大な根がもっと太ろうとして、よその根の場所から無理に栄養をぶんどろうとしてよその土地にまでツタを伸ばすことがあります。それが侵略です。大きな根が小さな根を囲い込み、それ以上太らないよう邪魔したりもします。大きな根が、いい場所ほしさに、そこに生えた小さな根をひっこぬいて、よそに植え替えたりもします。それが集団強制移住です。植え替えにはリスクが伴うので、そのために枯れてしまう根もあります。小さな根だって枯れたくはないので、必死に抵抗します。こういった根同士のケンカが、戦争です。戦争は栄養を無駄遣いするので、たいへんハタ迷惑です。
ところで、根と葉とどっちが大事か、その問いは愚問です。根は葉なしに生きられず、葉は根なしに生きられません。人間にとって、水と酸素とどっちが大事ですか。一見「酸素」だと思うけれども、水がなくなったらいずれ死ぬことは間違いない。比較できないものを天秤にかけても、無意味だと私は思います。