06/23 00:44
山田せばすちゃん
>>183
>>罵詈雑言煽り挑発その他の類は、誰も望んでいない、と。貴方の目的は、場を破壊することですか? 意見の違う相手を汚く罵ることですか?
その他?
その他ってなんだい?俺の目的である人道上許されざる言辞を弄する人物を糾弾することもその他に入るのですか?
>>これは、貴方の挙げている「血に縛られた産まれついての運命」など承知の上での議論です。だからこそ、極論として、それを踏まえた上でのものまで考えてみたりもした。
だから極論なら何言ってもかまわないのか?と俺は聞きたいんですが。
俺も「極論ですが唾吐きつけてやりたい気分ですよ」と書けばお咎めを受けることもなかったのか、と。
君が自らの言辞に差別を含んでいるのを認めているから、君は差別主義者なのだ、と俺らは言ってるだけのことです、ついでに言うと、本人の責任で以って差別されるべき立場に立たれた以上、誰もあなたに同情はしないでしょう、「差別されちゃったよ」なんて甘えたこといってもだめです、自業自得です。
>>差別は無くすべきだという考えは誰にでもあるものだと思うけど、でもまた、無くならない(無くしようのない)差別もあるものと認識しています。そして、今の時代のように差別が絶対悪ではなく、日常どこにでもある制度の一環だった頃の、そんな時代から受け継がれてきた文化というものもある。では、それら文化が今日の世においてそのような負を孕むのだとして、その発祥は差別を目的としたものだったのでしょうか。結果としてそういう側面を抱くことになっているのだとしても、現実問題として、彼等が差別(による苦しみ)を望んでいた筈がない。 宗教があるから戦争がある、だから無くせばいい。そんな暴論は通らないでしょう。布教の側面に戦争があったとして、信仰に罪は無い。それと同じなのではないでしょうか。
全然違います。差別制度は人が人を支配する手段として最初から差別そのものを目的としてありました。文化を支えるために差別制度があってその結果として差別に苦しむ人があったなどという誤った認識はすぐにでも改めていただきたい。交通事故で人が死ぬから車をなくせばいい、と言った類のバカな議論と一緒くたにしないでください、そもそも差別が絶対悪でなかった時代があったからどうだというのです?俺らが問題にしているのはまさに、今、出自による差別が絶対悪である今の世において、平気で差別的な言辞を弄しているあなたそのものです。
>>私には、貴方の考えが理解できません。現代の思考で過去を裁こうとする意見に与することなど出来ない。それならば女人禁制を貫く寺社仏閣等は、例外無く女性差別者なのでしょうか。
話をすりかえないでいただきたい、あなたが言っているのは子供が「あの子だって悪いことしてるのに何で俺だけ怒られなくちゃいけないんだ」と駄々をこねているのと同じです。あなたは身分差別につながる血統主義を守るべきだと強弁し、そのためには代理母を使うことも肯定する、と女性を子を産む道具に貶める発言をしました。それは極論であって、本当はそれ以外にも方法はあると思っていると言いつくろうくらいなら、最初からそのような極論を述べるべきではなかった。そのような極論をアジテーションと言うのです。あなたはインターネット上の公的言論空間において血統に基づく差別を肯定し、女性を子を産む道具に貶める性差別発言を行った。まずこの二点を認めるべきです。
>>・・・まぁ、貴方は唾を吐きかけて絶縁を宣言したのだから、もう話す余地など無いと思われます。
はい、すでに話す余地はありません、あなたは差別主義者です。
ただし、私は詩人仲間としてのあなたとは絶縁しますが、差別主義者のあなたを許す気は毛頭ありません、今後ともあなたが私の目の届く範囲でこのような差別的言辞を繰り返すおつもりならば、私はあなたを糾弾し続けますので、その旨お忘れなく。