たまに若い人と思われる
ふるる

ごくたまに、中学生とか高校生に思われることがあります。
はじめはすごくびっくりして、自分が幼いからか、とか、何か人を騙しているような申し訳ない気持ちでいたのですが、だんだん分かってきました。
実年齢はともかく、私の使っている文体が多分そうなのだと。
先日、姉がミクシィを始めたというので覗いてみたらば、普段なら「母の為に」と書くところを「ママ用に」って書いている。今だかつて、一度も、私達姉妹は母のことを「ママ」と言ったことも書いたこともないのに。何?「ママ」って〜ありえない〜などと私も返事を打ちそうになったのですが、つまり、内容の面白さで勝負できない時はついつい文体の軽さに頼ってしまう。
中身で勝負できない女はメイクやファッションで勝負と一緒。(一般論でないですよ)
つまり、私は自分の書くことを最後まで読んでいただけるか自信がないので、ついつい若い子みたいな文体で、「これは難しくないのよ」「私はギャル(死語)だから読んで」と言ってるわけ。(多分)
ひぃっ。結局幼いんじゃないか!だめじゃん。

つまり私はですます調をやめた文章や文体を使うこともできるのに、しない。

そして何を言いたいかと言うと、ある詩で何かが真実らしく(ここでいう真実とは、その作品が「作者の現実で、本音」だという意味)書いてあって、読者が本気にして、例えば「うちは離婚家庭で」という詩に対して「ご苦労なさったんですね、さめざめ」というような感想を抱いたとして、それはやはり作者の文体なり詩の構造なりが、そうたらしめるものを持っているのだと、そしてそれはそんなに気にしなくていいじゃないかと、言いたいのだ。
逆にまるで嘘っぽい(この場合の嘘とは、その作品が「作者の現実ではないし、本音でもない」という意味)詩を書くのもたやすい。女性性を感じさせる作者名で、「俺」という人称で「子供が嫌い」等、女性性としてはまだまだそれは違うだろう嘘だろう嘘であって欲しい的に思われることを書けば良いよww

その作者の文体なり詩の構造なりが読者を騙すとして、それは大変に素晴らしい現象だと僕は思う。少なくとも、最後まで読んでもらえて、「本当だと思いたい」と思わせたんだから。つまんないものは別にそんなこと思わないしさ。リアリティがあるって、フィクションでもノンフィクションでも書いてるものが活き活きしてるってことだ。
逆に、全てがフィクション(ノンフィクションも含め、人の手で書いたものはある意味全部嘘だ、とか単に作者=話者ではない)だという前提でもって詩を鑑賞したとしても、それも一つのアプローチとして好ましいと思う。

唯一困ることがあるとすれば、作者の書くものが全て本当で本音だと信じ込み、それが自分の理想であったりした場合、作者を偶像化し、挙句の果ては作者こそ自分の王子お姫だと思い込んで私的にお近づきになりたいと画策するストーカーっぽいミザリー読者が必ずこの世にはいてしまうということだ。
私の知り合いの作家も、便箋にびっしりと愛だか感想だか弟子にしてくれだの近くに住みたいだのを綴られた手紙を毎週送りつけられて恐怖を感じているそうなので、それはやめといてと言いたい。

あっ!逆もありました。作者の書くものが全て本当で本音だと信じ込み、それが自分の理想と真逆であったりした場合、作者を悪魔化し、挙句の果ては作者こそ自分の魔王独裁者だと思い込んで私的に攻撃してしまいたいと画策するキャリーのお母さん的読者が必ずこの世にはいてしまうということ。
これは穏やかじゃないですねー。しかしこれも愛の一つか。近親憎悪か。読者が言いたくても言えないことを、作者がばんばん言ってるから、憎たらしいとか。

(一部、勝手に話者を変えましたことをお詫びいたします)



散文(批評随筆小説等) たまに若い人と思われる Copyright ふるる 2006-12-19 23:54:27
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