『逃亡か鹿』
しめじ
亡羊とした耳が熱を帯びて、手にした砂時計のガラスを溶かしていく。零れ落ちる時間の束を必死でかき集めるのだが、砂は先へ先へとこぼれていくのでいつまで経っても追いつかないのだ。炬燵の中で散々こき使われている小人たちは一生懸命寒風摩擦を繰り返して、熱膨張の連続。真っ赤な光はやがて聖書に記載されて言葉となり流布されるのだ。そんなことをテーブルに置かれた日記帳に記しながら顔を上げると時計が三十時間ほど進んでいる。しかし三十時間時計が進んだとしてもアナログの針は実質六時間しか進んでいないわけで、やはり六時間針を戻せば元通り時計として機能するわけである。そう気がついたときに焦げ臭い匂いが鼻をつく。鍋を火にかけたままだった。豆乳をさんざんっぱら煮込んで砂糖と甜菜を放り込んで豆乳ジャムをこしらえていたのだがこれがなんとも成功しない。なんども同じ工程を繰り返すのだが、どうしても豆腐が出来上がってしまう。やはりにがりを入れたのがまずかったのだろう。しかしお前豆乳といえばやっぱりにがり、ダイエットにもいいと一時期はやったではないか、という私のBMIは18以下。医者に米を食えといわれたのだが持ち前の反骨精神から春雨ばかりを食っていたのが功を奏していまではモデル級の拒食症である。そんな風に言っている間にも鍋はどんどん焦げ始める。鉄臭いなあ、疾く火をだに消さねばと一念発起するも炬燵というのはその一種魔力があるよね。外は寒いから二人とも炬燵の中で仲良くしたいよ。みかんに詩集なんてあったらあなたもう死んでもこのポジションを死守したくなるわけでして。そんな体たらくなもんだから、キッチンに干してあった水色の靴下が燃え始める。時計を見ると先ほどから二百十八時間ほど進んでいて、家の中は炬燵がいらないくらい暖かくなっている。それでも出られない。小人がね足を引っ張っているんですよ。などと駆けつけた消防隊員に言い訳をするのだが、まったく聞いてもらえず、大根を引っこ抜くように私は炬燵から引き出され、タンカーで運ばれたのだった。そして今私は太平洋の真ん中にいるのだ。釣りなんてしたことは無かったけれど暇だし、飯くわんとだし、というので撒き餌をして釣り糸をたらす。だが困ったことに釣り糸が海面まで届かないのだ。タンカーの高さは五十メートル近くあって、横波が着たら一発で倒れるやろ、海上法に準拠しておるのかね君、といった具合なのだ。これではいかんということで、船長をして炬燵を持ってこさしめ、みかんに熱燗、ついでにまつたーけなんて土瓶に入れてこさえてきたまえ、とVIP待遇を味わっていたわけだが、赤道直下の気候のもと、どてらまで着込んで炬燵に入ってはなんだか我慢大会のようですねといつの間にか隣に座っていた板井氏がみかんの皮をらせん状にむきながらそうつぶやいた。みかんの皮をどっちが長く向けるか勝負しましょうと私の土俵に持ち込んでやったのだが、詩人の彼は興味がなさそうに詩を読み出す。
「風が変わる三丁目の突き当たり
どぶの中には妊娠した猫がいて
そこが私の背中なのです
迷い込んだ砂時計の王国で
猫は太陽を毛嫌いしてあくびをひとつ
檻に舌を這わす悲しい内職」
汗まみれのわれわれは太陽の光を浴びてアジの干物なんかを密造するのだった。