異形の詩歴書 高校編その3
佐々宝砂

 トシを隠す習慣は私にないのでちゃんと書くが、私は1968年生まれ。だから私が16歳だったのは1984年のこと。ジョージ・オーウェルの年。そのころ、静岡の片田舎にコンビニはない。ファミレスもない。モスバーガーもマクドナルドもない(ミスタードーナツだけはあった)。携帯もない。プレステなんか1も2もない。ファミコンすらない。パソコンはあるにはあったが、当時私に触ることができたのはBASICのちゃっちいパソコンで、パソコン通信は完璧にマニアだけのもの、当然インターネット環境があるわけもなく、情報の入手先はもっぱらテレビとラジオと新聞と雑誌。一般的にはテレビだ。田舎とはいえ、テレビ東京以外のテレビ局はちゃんと全部見ることができた。だからこそ、田舎にもオタクは誕生しつつあったのだが、私を含め、田舎に住んでるオタクたちは、イデオンに熱狂しガンダムに夢中になりザブングル(笑)まで見ておきながら、自分たちがオタクであるということすら知らなかった。とりあえず、そんな時代である。時代のことを思い出すのは、手がかりさえあればむずかしくない。

 しかし、16歳だった自分を思い出すのはむずかしい。私が詩(らしきもの)を書き始めたのは確かに16歳のときなのだけれど、なぜ書き始めたか、実は自分でもはっきり思い出せない。ジム・モリソンの歌詞を翻訳してみたのが詩を書き始めたきっかけだと以前私は書いたが、自分の日記を調べてみたら、どうやら私はジム・モリソンを知る前に詩(らしきもの)を書いている。しかもいきなり散文詩(らしきもの)だ。「所有者」というタイトルの、400字に満たない、暗い、核戦争もの(笑!)。とにかくそれが、宿題以外で書いたはじめての「詩らしきもの」である。だが、「所有者」は、散文詩として書かれたものではなかった。私は最初の詩(らしきもの)を、ショート・ショートのつもりで書き始めたのだ。

 ショート・ショートらしきものを書き始めたきっかけなら、覚えている。新井素子と岬兄悟の影響で書き始めたのだ(ここはまだ笑うとこではない)。1981年のSFマガジンに新井素子の「ネプチューン」が掲載されたとき、私はほんとに熱狂的に新井素子の物語が好きだと思ったけれど、ちょっとびっくりもした。新井素子的な「あたし……なんです」という女性一人称口語体の文章は、宇能鴻一郎の専売特許だと思っていたので(ここは笑っていい)、自分が日記に書いてるような文章で小説を書いてもいいのだということを知って、かなり、おどろいた。同じころ(か、ちょっとあと)、岬兄悟の『瞑想者の肖像』がハヤカワ文庫から出て、私はほんとーに熱烈に岬兄悟の不条理なアイデアが好きだと思った。けれど、巧いとは思わなかった。それどころか、ヘタな小説だと思った。

 それでも、1981年13歳の私はまだ素直に「面白いなー」と思って読んでいたのだが、1984年16歳になった目で見ると、やっぱ頭に来るのである。なんでこんなにヘタクソなのに原稿料とるのや。しかしアイデアはよい。物語はすてき。ああ、でも文章ひでえ。でも面白い。でもこの文章ねじれてる。これなら私の方が文章巧い。でもこの小説楽しい。ああ腹立たしい。そこで私は考えた。小説や詩は、神様に選ばれた特別な人が書く特別なものだ。しかしSFやショート・ショートは違うのだ、アイデアさえ凄いなら、物語さえよくできてるなら、文才に乏しいフツーのヒトが書いたっていいのだ、ならばあたしが書いたっていいのだ!(ここは嘲笑ってほしい)

 かように滅茶苦茶な理屈を前提に、私はまずSFショート・ショートを書き始めた。トラウマ持ちのイデオン好き根暗SFオタク娘が「ヘタだっていいのだ!」と開き直って書くショート・ショートだから、中身も外身もしっちゃかめっちゃか妄想全開。しかし私の妄想は、なぜか恋愛やセックスに向いてゆかなかった。まして日常的なものには向かなかった。そんなもの、どうだってよかった。私はひたすら非日常の雰囲気をつくりだそうとした。私のショート・ショート世界では、世界大戦がビシバシ起こり、独裁者がガンガン演説し、地球がボンボン破裂し、宇宙がバンバン割れ、次元がぐるんぐるん裏返り……しかし、実際のところそれらは、ショート・ショートの体裁をなしていなかった。世界がぶっこわれる状況だけがあって、物語がない。ヤマがない。オチがない。イミがない。いわゆる「やおい」とは別物だが、作者の快感原則にのみ基づいて描かれる、いー加減かつテケトーな作品という意味において、当時の私の作品群は、全くもって「やおい」そのものであった。正直、ひどい出来だった。

 ところで、無責任に断言するが、ヤマなしオチなしイミなしの垂れ流しが新しかったことなど、ない。そんなもん、いつの時代も、どこかにあった。みっともなくてこっばずかしいので作者の手で隠蔽されたり(私は高校時代の文章の大半を焼いてしまった)、あまりに無意味でアホらしく腐りやすいので時代の波に消えてしまったりしているのだ。嘘じゃない。明治の新聞の投稿欄、大正時代の少女雑誌の投稿欄、ずーんと飛んで70年代の「スプーンいっぱいのしあわせ」、80〜90年代のラブホテルのノート、などなど、読む機会があったら、読んでみるといい。ほとんどがヤマなしオチなしイミなしの垂れ流しだ。もちろん垂れ流しの中にも面白いものはあるだろうし、垂れ流すなとも私は言わない。しかし、垂れ流しそのものは新しくないし、スリリングでもない。「ヤマなしオチなしイミなしの垂れ流し」は、単に、素人文章が持つ特徴に過ぎない。

 高校生の私は素人以外の何者でもなく、自分の書くものが「文学」だなんてつゆ思わなかった。詩であるとさえ、思っていなかった。


散文(批評随筆小説等) 異形の詩歴書 高校編その3 Copyright 佐々宝砂 2006-12-17 22:18:16
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