異形の詩歴書 高校編その4
佐々宝砂

 私の読書傾向は、しっちゃかめっちゃかで統一性皆無だ。手当たり次第に何でも読む。なんでも、だ。薬の説明書でも、ものみの塔のパンフでも、そこに字がありゃいい。「なぜ本を読むのか?」と訊かれたら、私はきっと「そこに字があるから」と答える。いま私がインターネットにはまっているのも、「そこに字があるから」だ。私は詩が好きだが、それ以上に、字を読むことが好きなのだ。だから私は、趣味の欄に「読書」と書かない。「濫読」と書く。書を読むだなんて落ち着いたもんじゃない、乱れ斬り。私はみだりに本を読んでるのだ。詩集も読むが、便所の落書きみたいなエロ小説も読む。新刊マンガも、大昔の貸本マンガも、純文学も、SFもミステリも読む。でも昔に較べたら、多少分野にこだわるようになった。売れてるときいても、私の趣味じゃないやと思えば読まないようになった。

 高校生のころは趣味なんか関係なく読んだ。あんなにでたらめに本を読みまくった時期はない。どのくらい読みまくったか。まず、朝、学校に向かうバスの中で一冊片づける。学校まで30分間かかったし私はかなりの速読だったので、赤川次郎みたいに軽いものなら一冊読めた。で、学校に着くとまっすぐ図書館に行き、自分の名義で一冊借りる。その一冊を授業中に内職しながら読んで、午前中のうちに一冊片づける。昼休みにそれを返してまた借りる。午後の授業中に内職してそれを読むが、さすがに今度は読み切れない。それでも放課後また図書館に行き、図書委員の特権を濫用して、友人の名義で三冊借りる。それから本屋に寄り道して、足の裏が痛くなるまで立ち読みする。帰りのバスの中で、読みかけの本の残りを読み切る。家に帰って二冊読む。残る一冊は次の朝、バスの中でのお楽しみ。日々この繰り返しで、立ち読みを除いて、一日に最低五冊読む勘定。完璧にアホ。ここは呆れるべきところであって、感心するところではないので、間違えてはいけない。呆れて下さい。両親はもはや呆れきって、文句を言わなかった。級友も教師も呆れていた。本屋の親父さえ呆れていた。私が立ち読みしに行くと、本屋の親父の顔に哀愁が漂うのである、「こいつには何を言ってもムダ、ハタキではたいても注意しても怒ってもムダだ」と。

 まわりのみんなに呆れられて、しかし私は孤独ではなかった。私のようなタイプは別に珍しいタイプではなく、実は世の中のあちこちに棲息しているのであり、そして類は友を呼び、オタクは群れる。狭い世界にいるとひとりぼっちだが、多少なりとも広い世界に出れば、けっこうおともだち(笑)はいるのだ。要するに、他人の名義で本を借りまくるバカは私一人ではなく、私はそいつと友だちになった。彼女(以下Yと書く)とはじめて口をきいたときのことを、私ははっきり覚えている。とある昼休みのこと、私は、タニス・リーの『白馬の王子』を学校図書館で読んでいた。そうしたら、いきなり「中山星香!」と叫ぶハスキーボイスが背中に聞こえた。ええええ、『白馬の王子』のイラストは、マンガ家中山星香が描いていたんですよ。Yは、本も好きだがマンガも好きで、とりわけ中山星香が大好きだったもんだから、つい声に出してしまったというわけ。ああ、白馬の王子に中山星香とくるんだから、しみじみと少女趣味な出逢いだなあ。ま、ともあれ、人間、趣味を同じくする友を得ると強くなる。趣味全開で読みまくり、借りまくり、貸しまくり……楽しかったね。楽しかった。本の話ができるというだけでも、ひたすら楽しかった。

 でも、Yは、文章を書くヒトではなかった。学校で二番目にたくさん本を読んでるのに(一番読んでたのは、言うまでもなく私)、文芸部員ではなくカルタ部員だった。文芸部の連中は、ほとんど学校図書館に寄りつかなかった。私の知らないあいだに借りてるということもなかった。憶測ではなく確かな話だ。私は休み時間のほとんど(&授業をサボっている時間の半分ほど)を学校図書館で過ごし、校内の誰がどのくらい学校図書館の本を読んでいるかをほぼ正しく把握していたからである。

 文芸部員たちは、学校図書館以外の場所で本を手に入れているのかもしれなかった。書店や古書店でないと読めない本はもちろんある。私はそういう本も好きだったが、純文学や詩集を読もうと思ったら学校図書館が最も手軽だと思っていた。だいたい、たくさん読むと金が足りないに決まっているから、どうしたって図書館に通うことになるはずだ。私は市立図書館にも通ったが、そこでも文芸部員の姿を見ることがなかった。私は不思議でたまらなかった。図書館にこない彼女たちは、いったいどんなものを読んでいるのか? わずかな本を精読しているのか、それともすごい金持ちなので図書館なんか無用なのか、それとも本なんか読まなくても文芸作品を作れる才能を持っているのか? 文芸部の文集は何度か読んだが、頭になんにも残らなかった。つまらなかったという記憶すらない。山のよーに読みまくっている中の一冊だから、よほど魅力がないと記憶に残らないのだ。別に不味い文章だったのではなく、まあフツーの高校生の文章だったんだと思う。

 Yという友人を得た私は、文芸路線をはずれまくり、オタク路線をまっしぐらに走りつつあった。Yは文章こそ書かなかったけれど絵がうまくて、リクエストするといろいろ描いてくれた。彼女が描いたキース・アニアン(『地球へ……』のキース)の絵を、私はいまだに持っている。文芸部員の小説は小説に見えなかったが、Yの描いたキース・アニアンはちゃんとキース・アニアンに見えた。当時の私にはまだよくわかっていなかったけれど、今思えば、それは重要なことだった。


散文(批評随筆小説等) 異形の詩歴書 高校編その4 Copyright 佐々宝砂 2006-12-17 22:29:33
notebook Home 戻る  過去 未来
この文書は以下の文書グループに登録されています。
異形の詩歴書