廃船——夜明けのとき  デッサン
前田ふむふむ

       1

十二月の眠れる月が、遅れてきた訃報に、
こわばった笑顔を見せて、
倣った白い手で、ぬれた黒髪を
乾いた空に、かきあげる。
見えるものが、切り分けられて――。
伏せられた透明な検閲のむれが、支流をよこぎり、
静かに、沸きあがる。
   失われた汽笛に高められた過去、静止した速度、
畳み掛ける重さが、――、
         波の上にひろがる。
             水没のとき。 

わたしは、仄かな夕空をかたどる、
もえる指先を、あなたの白い鎖骨のむこうに、
あてがう。
脈を打つ草々のような海が、蒼い眼差しの奥で、
夏を踏み分ける旅人のように、
紅潮する頬を、弛める。
赤い波が、海のはじまりと、終わりとを、
引き合い、溶かし合い、
あなたの空虚な胸の繊毛を、やさしく絡める。
       赤い波が――、
             水没のとき。
 
      2

夜がとばりに鍵を掛けて佇んでいる。
湿った空気が硬質な無音を垂らして凍る夜が戯れる。
海鳥も漆黒のベールで液状に溶けて眠りについている。
微かな呼吸が囁く季節の枕元で、
もはや、行くべき場所もなく、帰り来る場所もない、
打ち捨てられた去り逝く栄光が、
沈黙した黒い海で、巨大なからだを崩れながら倒れた。

一つの塊は、冷たく骨になった頭を、横たえる。
そこでは、死は大きな口を、
顔の外に開けて、微動もせず、
群れをなして、林立している。
かなしみも、憂いも、劇薬に切断されて。
煌々とした月のひかりに、照らされて、
骨は重なり合い、絡み合い、傷つけあい、潰し合い、
かたちを、冷たい海の溜息に、晒された、
船の墓場が広がっている。
侮辱された残骸の山々。
廃船は、一つずつ衣を脱ぎ捨てて、
剥き出しの骨をさらしている。


脱ぎ捨てられたものは、
夜が沸騰の中心点を選ぶころ、
遥かな広い海原に向かって、過去の美しい姿で、
音を立てずに入水する。
マストが空の階段の上で、はためく。
甲板を、蒼い月が産んだひかりのきらめきで、もてなす。
船の舵が溶けて、それを海に葬送された者たちが、
たぐり寄せる。
死するものための波頭は、海の馨しい記憶の、
聴こえざる歌を唄い、
船の輝かしい系譜をなぞりながら、
眠れる空に高々と打ち上げる。
夜ごと海が行う廃船のかなしみの水葬が、
鎮まりゆく喝采の戸を、海の断崖で叩いている。
誰にも知られることなく、ひっそりと。
ときだけが敬礼する。

     3

真夏を彩る真鍮の欠片が、閃光を発して、
冬の脅える空に、鈍い金属音を砕く。
     果てしなく続けられる、
          終りなき、復員のとき。

いつまでも、始まらない海に、
   故郷で聴いた音が――、
         懐かしい音が帰る、海へ。

帰りたい。
わたしの肉体が、懐かしい音をはおる。
わずかなひかりが、流れる冬の海原の水脈を映して。

生きたい。
愛惜の山河の眺望が、
遠い母を偲ぶ、暑いみどりの葉脈のなかをくだる。
    逝く人よ、
    わたしは、今日も、おなじ夢を追想するのか。

うすまりゆく暗闇の密度。
カウントされる枯れる氷山たち。――
      立ち上がる白壁のつらなり。

まもなく、ふたたび訪れる、複眼の夜明けのときだ。

わたしの細い手たち。
化石の曠野を行く柩の天蓋を
           固く握り締めていこう。

真夏は、この地図にない航海で、
水底に肩を落としたまま佇む、
    途切れた糸杉が寂しくひかる、
感傷的な島々の此岸を、
悠揚とした眼差しを立てて、
       直立して、渡ってゆくのだ。





自由詩 廃船——夜明けのとき  デッサン Copyright 前田ふむふむ 2006-12-16 21:21:41
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