シと ともに
わら

ここに来させていただいて、
ちょうど、今日で1ヶ月になります。

なにかにすがるような想いもあったのかもしれません。

なにかに向きあおうとする意志もあったのかもしれません。

おびえながらも、
真剣に 詩を書くことに向き合い、
また、
多くの方の詩にふれようとしてきました。

たくさんの方々が わたしなどの詩に
目をむけてくださったことにも、
こころからの感謝を感じています。

ありがとうございます。






わたしは未だ、さまよいの中にあります。

詩を書くということ、それ自体にさえ、
迷っているのかもしれません。

いえ、本質的には「生」ということにさえ、
迷っているのかもしれないのです。



いつからか、詩にむきあうことと、
「生きる」を選ぶこととが、
同義にさえ なってきたように思います。



ゆれつづけています。

様々な景色に。


大げさかもしれませんが、
日々の、いっしゅん、いっしゅんが つらいです。

自分を、
自分の人格、存在を、
自分を見失いそうになる度に、
自分なりに、あがくのですが、

もう、ただ、ただ、
こころは、孤独と、錯乱に飲まれてしまいます。



「だれか、 あいを ください」 と、



思慮分別もなく、物乞いをするかのように・・・



いや、わたしも、
大きな視点から見れば、
恵まれている人間のひとりなのかもしれませんが、

そのような理性の縛りも、また、
わたしを生きながらえさせながらも、
蝕みつづけた、ひとつの理由かもしれません。



わたしは 「光」を求めています。

いまだ、闇に堕落することを選ぼうとはしていません。


ですが、なおさら、気づいていまうのです。

いえ、10年来と さまよい、つきつめつづける中で、

己に、人というものにひそむ闇。



その核は


「妬み」 なのだと。




月並みかもしれませんが、
わたしが めぐりに、めぐり、つきつめつづけ、
唯一と、見出した究極は、
結局、 それでした。



わたしにとっては、 もはや、
それが真理だと思えます。


それを見出すために、どれほどのものを費やしたかと思うと、
それは、それで、笑えてくる話ですが。






ですが、そう明確に、とらえることができるようになって、
わたしは、より己に 
嫌悪とともに、身の毛もよだつように感じるよう、なっていったのです。
そして、人の世にも 嘆きました。
深部の本質を成し、ぬぐえぬ、ソレに。



まごころを、と。

「光」を 望めば、望むほどに。






そうして、わたしは ゆれつづけ、
意識の淵をさまよっているのです。




そんな中、
いつしか わたしは、
わらをも つかむかの如く、

詩に「生」を すがるようになっていったのです。








わたしは、詩について 次のように感じ、ふれています。















ひとつの詩をうみだすのに、数時間とかかることがあります。

ひとつひとつは それだけ大切なものです。

技巧的なことではなく、気持ちの整理として・・・

うまれないときは 数日、なにも生まれません。

だけど、胸がしめつけられて くるしいとき、

コトバは あふれてきます。


やっと、浮かびかけたコトバを見失ったとき、

まるで、カギでも無くしたかのように、

あたふたとして、とほうにくれます。

それでも、そうやって、苦痛の中から、

やっと、ひとつの詩を生み出せたとき、

こころを落ち着かせることができます。

たやすく「死」などを選びたくはないのですが、

おもいつめて、いたみの中で、

それがちらつくときがあります。

でも、そんなときでさえ、

なにかの詩にたどりつけたときには、

こころを落ち着かせることができます。

「生きよう」と。



わたしにとって、詩は、もう、そんなものです。

日常的ではないにしろ、

とても大切なもの。

それによって、生かされているようにさえ思えます。







そういえば、

自ら、「死」を選ぶ人は、

だれもが、最後に詩を書き残すように思います。



最期に、


「ありがとう。」



「ごめん。」



って。









それは、きっと、こころからのものだと思います。





だれもが、 詩を残す。




ヒトは みな、  詩人。



孤独を胸に 秘めるヒトは、


詩と ともに生きている。



死と ともに。






死を 想う  


詩を 想う



シヲ オモウ


















最近は、わたしごときでも、
「詩」というものについて考えることが多くなってきました。


究極的な詩というのは、
遺書なんじゃないだろうかと思ってしまうときがあります。



「コトバにならない 言葉」




それには、すべてが つまっている。




ときに、
そんなふうに 思ってしまうときがあります・・・






もしかしたら、わたしの詩も、

いつかの日か、
遺書みたいなものになるのでしょうか。









想いを、可能なかぎり昇華できるように、

そして、
できれば、多くの方の胸に届くように、

ここで、いくつもの たましいに触れて、
詩を学ばせていただきたいように思います。



そんなふうに、
また、
こころからの叫びとして、
刻みつづける その時々の、たましいの詩が、

いつの日にか、
遠く、未来、
わたしの 生きた 足跡になればと願います。





























未詩・独白 シと ともに Copyright わら 2006-12-11 20:19:53
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