隠居元年
狸亭


二〇〇〇年隠居元年一月一日。墓参。
東京都立多磨霊園二四側四九。
おふくろとおやじとおとうとに「無職」報告。

おそい午前のひざしはおだやかで風もない。
よどんだ時のながれのなかに六九歳没のおふくろと
七八歳没のおやじの平均没年をかぞえてみる。

七三歳。もうあと十余年。そっちはどうだい。
一〇歳でまっさきに逝ったおとうとと三人してひっそりと
おれがゆくのを待ちながら時には噂をいているかい。

ここにたつとぼんやりむこうがみえてくる。
花もない。香もない。米も水も酒もない。
冬枯れの墓標。この肉体の行きつくさきの風景。

手ぶらでやってきて一緒にたたずんでいる
もうそんなにわかくもないむすめやせがれたちにも
ことしは減量元年だなと苦笑しながら宣言する。

二日。ビデオデッキを買った。電子辞書を買った。
三日。デスクトップ型パソコンを注文した。
八日。松本城。安曇野一泊。九日。善光寺参拝。

もうとっくにばらばらに暮しているむすめやむすこと
カミさん還暦祝の家族だけのささやかな旅
十日。パソコン入手。ぶあついマニュアルと格闘。

十二日。氷雨。青娥書房。詩集のこと。
毛穴がすっかり開いてしまった皮膚にはいささかつらい
ニッポンの冬。近年は暖冬つづきらしいがやはりさむい。

十三日。電話線移設工事。
十五日。インターネット。E・メール開設。
なんとなくながれてゆく日常にもなにやかや憂き世の波。

ぼんやりかんがえていた読書計画もままならぬ。
『バルザック』がふえ『漱石』は「門」でとまったまま。
『荷風』の色目。『寺田透』は不貞寝。遠景のランボー。

十六日。新設の多摩モノレール線にのる。
「多摩センター駅」から「多摩動物公園駅」M邸。
むかしの夜学生たちの古い顔が集まる。酒がうまい。

おもいだしたフロマンタン『ドミニック』の名言。
「幸福とは欲望と能力の均衡状態を言う」
隠居元年の無為と幸福。おれは幸福か。

二十一日。勤めを終えた会社の仕事仲間との小宴。カラオケ。終電車での帰宅。二十二、二十三日。青い時代のガリ版同人誌旧友と外房の旅。それぞれの人生の断章。

宇宙のこと。地球のこと。ニッポンのこと。日の丸。君が代。世相を談ずる。崩壊に向いおとろえつつある世界とみずからの現実の姿がかさなりあいまじりあう年齢。

「文学で本音を言ってはいけない。本音は文学ではない」
先輩詩人は言う。詩は「詩」でなければならない。
隠居元年はどうやら「詩とはなんぞや」からはじまる。

20000125



自由詩 隠居元年 Copyright 狸亭 2004-03-27 16:39:28
notebook Home 戻る
この文書は以下の文書グループに登録されています。
四文字熟語