ひとりぼっちの裸の子ども
佐々宝砂

白糸さんの「言葉の持つしっぽ(あるいは亡霊)について」http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=9435&from=menu_d.php?start=0を読んで、ああこういう読み方をして下さる人がいたのだ、ネット上のあるかなきかの連帯感を確かに感じ取って下さる方がいたのだ、と感じた。私としてはうれしい。言うまでもなく、私の詩作(というよりも未詩)「夜中に台所で誰かに」は、谷川俊太郎作「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」へのオマージュというか勝手にインスパイアの作品なのだけれど、私はあえて説明をつけなかった。説明しないでもわかってくれるよねーというかすかな連帯感に期待して、つけなかった。私の詩の内容は、もちろん谷川俊太郎のものによりかかりつつ違うものになっている(と思う)。


この散文のタイトルも谷川俊太郎からの引用だ。

>ひとりぼっちの裸の子どもが泣いている
>孤児院はまっぴらだ
>テレビもいらないよ
>お金もほしくない
>だれかがいっしょに歌ってくれさえすれば
(「ひとりぼっちの裸の子ども」より抜粋:角川文庫版谷川俊太郎詩集2『朝のかたち』より引用)

夜中に台所で話しかけようとした「ぼく」は、そのまま「ひとりぼっちの裸の子ども」であり、谷川俊太郎のまたの姿であり、ここでこんなものを書いている私の姿であり、ここでこれを読んで下さっているあなたの姿でもある。空に向かって叫んでいるのではないと信じたい、信じたいと願いながら、私は自分のなかの「ひとりぼっちの裸の子ども」に気づかざるを得ない。私はいつも内心でつぶやいている。だれか、わたしと一緒に歌って。だれか、わたしと同じ言葉を使って。


たとえばみつべえさんの「アルンハイムの領土」http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=9437&from=menu_d.php?start=0を読むとき、私は当然のようにルネ・マグリットの有名な同題の絵を思い浮かべる。そして同時に半ば自動的に、エドガー・アラン・ポオの短編小説「アルンハイムの地所」を思い出す。私の記憶が定かじゃないのでどちらが卵でどちらが鶏かはっきりしないけれど、マグリットの絵は、ポオのこの小説に影響されて生まれたものではなかったか。少なくとも無関係ではなかったはずだ。みつべえさんの「アルンハイムの領土」は、ある小説の影響のもと生まれた絵の影響のもと生まれた詩……であるはずで、つまり時代とともに幾重にも重なり増えてゆく引用のひとつだ。

私はこうした引用に心地よさを覚える。みつべえさんと私は性格があわないかもしれないし、生活パターンも違うかもしれないし、思想もまるで違うかもしれない。でも、「アルンハイムの領土」という共通の言葉によって、私とみつべえさんは確かにつながり得る。そのつながりを実感するとき、私はいっとき「ひとりぼっち」ではなくなるのだ。


ちいさなころ、私がいちばん好きだった遊びは「言いっこ」だった。言葉遊びの一種だが、しりとり・あたまとり・エリオットしとりあそびなどよりずっと単純なものだ。テーマを決めて、そのテーマに沿った単語を言い合うという、ただそれだけの遊びである。動物なら動物と決めて、「キリン・象・バク・カバ……」と延々続けてゆく。この遊びは、似たような語彙を持つもの同士でないと楽しくない。私はひとつ年下の弟と「言いっこ」をしたものだったが、動物の「言いっこ」ならともかく自動車の商品名の「言いっこ」となるとスーパーカー狂の弟には全然かなわなかった。逆に、童話タイトルや植物名の「言いっこ」となると、いつも私の独壇場だった。私の言った単語がかなり特殊な単語で、それを相手が知らなかった場合、相手は私の言葉を信じて未知の単語を受け入れることになる。このようにお互いの語彙が偏って違うものになってくると、どちらにとっても「言いっこ」は楽しくない。

私が「言いっこ」をしなくなったのはいつごろだったろう。たぶん小学三年か四年のころだったように思う。私の語彙はどんどん特殊化していて、私と似たような語彙を持つ人なんて私の母くらいだった。今はもう、私と母の語彙もずいぶんかけ離れていると思う。私はそのことを思い出すととてもさびしくなる。


私のなかの「ひとりぼっちの裸の子ども」は、もしかしたら、もしかしたらだけど、誰かに何かを伝えたいのではないのかもしれない。伝えたいことなんか何もないのかもしれない。私のなかの「ひとりぼっちの裸の子ども」は、誰かと言葉を共有したいのだ。誰かといっしょに歌いたいのだ。谷川俊太郎の詩「ひとりぼっちの裸の子ども」がそういう意味の詩であるかどうか、私にはわからないけれど、「ひとりぼっちの裸の子ども」というさみしい言葉は、私と誰かをきっとつなげてくれるだろう。


散文(批評随筆小説等) ひとりぼっちの裸の子ども Copyright 佐々宝砂 2004-03-27 01:25:54
notebook Home 戻る