ハロー、ぼくらは都合がいい
nm6

駅のホームは終電まで1時間の23時で、ぼくは「のりかえ」が「チェンジ・ヒア」と訳されているのに気づく。「チェンジ・ヒア」というのは「いる」ところからスタートしているが、ぼくらは「いない」ところからスタートする必要がある。先に勝手に少し先へと踏み込んでしまっているから、それを「いない」地点へと引き戻してやらなければいけない。あくまで遠く先の、それでも延長上にあるもののこと。根拠となって増幅するもののこと。知らずに把握している可能性のこと。何を潰してもどこまででも動きそうになってしまう、それを抑制すること。「チェンジ・ヒア」は、そうであったほうが都合がいい。


ハロー。ハロー。
ぼくらは都合がいい。
そっくりだったり違ったりする。
責任は取らない。
知らないフリをしていたい。


この抑制によって潰れていく何かがあったとして、それは具体的な幸福をもたらさない。いろんな物事が過ぎていく。溜まっていき、それでも生きている。一生続くもの、一過性のもの。どちらにもあること。吐き出して露にしていること。意図的に機能されたもののこと。それ以上でもそれ以下でもないのだとしたら、それはそれでかなり寂しいけれどそれはそれも現実だということ。喜ぶべきということ。眠ってしまうこともできるけれど、なんだか見切らなきゃいけないような気もするし、もうとにかく泣いたりモノを壊したりしなければ気がすまないような気もすること。いったいこれはどこに隠れていたんだと思う。なんなんだほんとに、なんでしばらくぶりなんだ。何だこれ。


延長にある感覚を。延長にある感覚を。
そう、延長にある感覚を、ぼくは、恨んでもいるし感謝してもいる。
たとえば、ひどさの先にある圧倒的なやさしさ。
何も知らないフリをして、世界の話を始めよう。


ハロー。ハロー。
ぼくらは都合がいい。
ぼくらは都合がいい。


自由詩 ハロー、ぼくらは都合がいい Copyright nm6 2004-03-27 01:20:53
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