孤独な逃走劇
虹村 凌

また、中学生が自殺した。
俺は以前、「死にたい奴は死ね」といい続けてきた。
イジメや生活苦以外で、死にたがる人間はそうすればいい。
ただ死にたいなら、さっさと死ねばいい。
でも、理由があるのなら話しは別だ
そんな俺がこれから言うことは、無責任なのかも知れない。
でも、言わせておくれ。

何故、死んでしまうのか?
逃げる事は出来なかったのか?
苛められても、学校に通う根性は凄いと思う。
でも、最後に死んでしまったら何にもならないよ。
俺だったら逃げる。徹底的に逃げるさ。

親に相談したくないのはわかる。
しなくたっていいさ。
学校サボっちまえよ。
バレて親に怒られたって、サボりゃいいじゃん。
学業が心配なら、転校すりゃいいじゃん。
そうだろう?
難しい事じゃない。

親愛なる友人が言っていたよ。
「自殺する人間は、理想に描いた世界と現実の世界のギャップに耐え切れずに、
生きる事に絶望してしまう人種なんじゃないだろうか」と。


社会学で、10代の子供の自殺についてやった時に、
日本人の学生の自殺が多いこと、
原因が苛めや学業・将来への不安、
親からのプレッシャーである事を言った。
驚かれた。
アメリカじゃ、それが自殺の原因になる事は少ないからね。
精神的におかしくなったり、
思想的に辿り着いた先がそれであったりしても、
アメリカの学生が、日本の学生の様な理由で、
自らの命を絶つ事は少ないようだ。
学歴社会じゃないからね。

アメリカの場合、音楽やサブカルチャーの影響が強い。
それで、パンクスやメタス、デスメタルが槍玉にあがる。
オジー・オズボーンなんて格好の的だ。
逆回転のフレディーの歌声は、
「MY SWEET SATAN」だ。

某詩サイト掲示板で見た。(ここね)
「ロックは、デブで不細工で友達のいない様な、どうしようも無い奴の為にある」と。
そういう奴が、救われるんだ。
ロックに。
ロックは人を救う力があるんだ。
…と、話がそれた。

イジメはなくなりはしない。
決してなくなりはしない。
だから、イジメられっ子よ、逃げるんだ。
逃げる事は恥ずかしい事じゃない。
逃げる事は負ける事じゃない。
死ぬ事が、負ける事なのだ。
イジメで自殺したって、
イジメた奴等は直ぐに忘れる。
逃げろ。逃げろ。逃げろ。
若しくは、叩きのめせ。
集団対一人で勝て、って言うんじゃない。
角材でも何でも、武器を手に取れ。
一人一人、背後から殺さない程度に叩きのめせ。
病院送り程度にはしていい。

逃げるか、殺るか、どっちかだ。
黙って耐える事は、勝利には繋がらない。
最悪の場合、標的を他にさせるんだ。
俺はそうやって切り抜けた。
酷いイジメになる場合だからな。
そして気配に敏感になれ。
気配を感じたら逃げるんだ。
人間は動物だ。
気配を感じる能力は備わっている。
平和ボケして鈍ってるだけだ。
敏感になるんだ。動物になれ。
勝てないと思ったら逃げろ。
ひたすら逃げろ。
無様でもいい。逃げるんだ。
イジメられてるお前を見て、嘲笑う奴等からも逃げるんだ。
死ぬんじゃない。
遺書を残して死ぬ事は、勝利には繋がらない。
相手を社会的に貶める事も出来ない。
逃げろ。逃げろ。逃げろ。
イジメからは逃げていい。
逃げるんだ。

生きろ。

でも思った。
自殺を選ぶ人間は、誇高いのかもな。

誰も信じられない。
守ってくれる筈の教師さえ信じられない。
他人を信じられないのは辛い事。
教師なんてアテにならない。
(きょうし、で変換したら狂死と出たので驚いた)
だったら、逃げるしかないんだ。
逃げる事は恥だと思える事は、、
誇りの高さを示している気がするんだよね。

誰も信じられないのは悲しい事。
教師の無力を叩く親こそが、教師を無力にしているのだ。
悲しい矛盾だ。

俺は、こういう言葉を発信し続けなきゃいけない。
死んでしまった学生達には間に合わなかったけれど、
もしかしたら、他の誰かが死ぬ前に間に合うかもしれない。
今、死のうと思っている人間に思いとどまらせる事が出来るかも知れない。
だから、発信し続ける事に意味があるんだと思う。

イジメられても学校に行き続ける、
その心の誇り高さは認める。俺には出来ない事だ。
でも、「明日になれば変わるかもしれない」と言う、
希望的観測は何ももたらさない。
だから、逃げる事をわからなきゃいけない。
そう、イジメから逃げる事は恥じゃないと、
負ける事じゃないと、教えなきゃいけない。
抗えないなら逃げるしかないんだ。


散文(批評随筆小説等) 孤独な逃走劇 Copyright 虹村 凌 2006-10-14 08:45:27
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