日々界隈、あるいはぼくらの
プテラノドン

 たとえば真夜中に、テーブルの上で
作りかけのパズルを再開する老人のように、
未完成であることだけが唯一の完成形であると
―仮定できないだろうか?
オーディオから流れている夜想曲を。
棚を埋めつくす写真立てあいだをたゆたうジャズが、
鎮魂歌に聞こえなくもないと。
そんなことよりも、未完であることでぼくらは
立ち止まらずに繰り返せるのだと。そうして、
輝ける垂れ幕となって降りてくる、善意ある日々を
揺らすのは風ではなく笑い声なのだと…うんぬんは
この際抜きにして、超現実的な言葉でぼくらが口にする
「天気がいいね。」とか「もう秋だね。」と、
言うだけ野暮だと口にしないにしても、
本気で想える相手がいることを、幸運だと。
これまでや、これからを
代わりばんこにぼくらが話せることを。
パートチェンジも分けないさ。
ささいなことだから。
5分とかからないかもね。
互いのことを思えば。
でもきっと、そうかもね、そのとおりだよ。
正しさなんて分らないよ。
間違いじゃないにせよ。
仮定しようじゃないか。
笑い合う僕らを。
笑い合った、
その後で。


自由詩 日々界隈、あるいはぼくらの Copyright プテラノドン 2006-09-18 18:38:26
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