言葉について
ブライアン

地上23階のビルの入り口には、受付嬢が2人いる。大理石の床にはいつも、雨よけシートが敷かれている。エレベーターホールに向かう途中、受付嬢と挨拶を交わす。

「お疲れ様です」
「お疲れ様です」

低層階用のエレベーターホール。幾人か見知った顔が混じる。極力小さな声で、自信のないあいまいな声で、挨拶が交わされる。

「お疲れ様です。」
「お疲れ様です。」

言葉は、人というツールを生かして、世界にはびこった。人は言葉を包括していると信じ込みすぎた。言葉と意味(自己の内在性)が散り散りになると、人は絶えず言葉を罵倒した。

「言葉はくそったれだ」と。

包括していたはずの言葉が、人の能力から解き放たれる。人は言葉からすべての意味を汲み取られると信じていた。だが、「すべて」はあまりにも多く、人はそれを汲み取る能力を持ち得なかった。
かくして、現代の言葉は、手に余るだけの単語と終始、周辺の出来事を語るものだけに限定された。膨張し続ける言葉を人々は手放し、安心、安定できる言葉に依存した。

言語学者の「今の若者の言葉」は言葉を切り捨てる。
だが「今の若者の言葉」は、自己のコントロールが利くものだけのペットのような言葉だ。

地上13階。高層ビルからの夕焼け。真っ赤な空は生臭く、好奇の目で窓の外を見る。各人に取り揃えられたディスク。窓際のホワイトボード。会社は文字で埋め尽くされる。
インターネット。情報過多。
書籍の不必要性が問われる。
これほど普及したツールが役に立たなくなる。と。

インターネットは「周辺の言葉」を無限のネットワークで「すべての言葉」にしようとする。だが、デジタルはデジタルだ。言葉はもはや人だけのものではない。
使い捨てカメラにだってかなわない。

出来事の扉を開く。エレベータの扉が開く。会釈。視線は意味を汲む。言葉は投げ捨てられる。語りだせ!と心が嘲る。
卑猥な笑顔で語りだす言葉。

「今日は暑いですね」
「そうだね」

受付嬢の横を通る。いつもと変わらぬ笑顔。

「今日は早いんですね」と受付嬢が言う。
「そうなんです」と笑顔。

言葉は無限の感情。破滅するかのように饒舌にネットワークする。
ネットワークされた言葉が、突然、自我から噴出する。

「今日から冬だ」

と、独り言する


散文(批評随筆小説等) 言葉について Copyright ブライアン 2006-09-16 10:37:29
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