レレレのレ所感 1
いとう




http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=8106
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=8192
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=8240
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=8256


↑まだ終わってないみたいですが、
触発されたので俺なりに。
所感って言っても、たぶん全然別の話になると思う。



「文法」と言えばたいていの人は学校で教わった文法を思うのだろうけれど、学校で教わる文法は諸説ある文法論のひとつに過ぎず、一般には「橋本文法」と呼ばれてます。
橋本文法の特徴は、構文、あるいは文節を主体に“国語”を捉えていくものです。ひとつの文法体系として名のあるものでだからこそ教育の場にも採用されていますが、もちろん万能ではありません。橋本文法の欠点、矛盾についていろいろな人が述べています。
有名な例としては、「象は鼻が長い」、または喫茶店などで耳にする「僕はコーヒー」といった例文。こういうのは、橋本文法ではきちんと捉えきることができません。

「橋本文法」と双璧を為す文法論としては「時枝文法」が挙げられます。時枝、山田、渡辺といったグループがあったのかな? んー。勉強してたのはもう20年近く前になるのでうろ覚えです。で、この時枝文法ですが、これらは文節主体ではなく陳述主体で文法について論じます。時枝だったけ、山田だったけ、どっちか忘れたけど、文の構造内に「ゼロ構文」というものを入れることによって、上記の橋本文法における矛盾点をきちんと説明してたりする。確かそんな感じ(笑)。

陳述ベースの文法論では、特に渡辺文法にその色が強かったように思うけれど、まず、発話の意図がベースにあって、そこから何が(どんな語が)浮き上がるか、何が省略されるか、省略できるか、省略された文(というより陳述内容)内においてそれぞれの言葉がどのように関連付けられて受け止められるか、そういう流れで文法を捉える。

もちろんどっちの文法論がいいとか言う話ではなく、見る角度が違うから体系自体が異なっているだけの話で。そういう意味では、形から入る橋本文法のほうがわかりやすいので、採用されたのかもしれません。


話は変わって、国語学と日本語学ってのは、似てるように見えてもやってることは全然違うんですよね。国語学ってのは、日本語を母国語として研究するのに対し、日本語学は言語学の見地から日本語がどのような体系を持っていてどのような位置にたっているか、そういうのを研究します。日本語学の観点からみた日本語文法論ってのももちろんあって、それは国語文法とはまったく異なったアプローチをしている。日本語学校なんかでは橋本文法なんかやらない。日本語を知らない人に日本語の文法を認識してもらうためのアプローチ。たぶんいろいろ本が出てると思うので読んでみると面白いです。俺は専門外だったのでよく知らん(専攻は国語学だった)。学生の頃に斜め読みした程度。


疲れたので1はこのへんで。
2では方言の話をしたい。方言学と言語学の共通事項について。


※シリーズ通してぜんぶうろ覚えで書くつもりなので、鵜呑みにしないでくださいね。




散文(批評随筆小説等) レレレのレ所感 1 Copyright いとう 2004-03-03 16:17:30
notebook Home 戻る  過去 未来